×

社説・コラム

原爆の日に思う 「非核の傘」広げる努力を

■特別編集委員 田城明

 原爆慰霊碑前に立ち込める白い香煙。途切れることのない花を手向ける人波。老いを重ねる被爆者たち。その中で、例年にも増して目立った若者と外国人の姿…。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

 原爆慰霊碑に刻まれた碑文。その前で犠牲者の冥福を祈り、核兵器のない世界を願う参列者の世代交代と国際化は、確実に進んでいる。

 平和記念式典では、一般の外国人参列者だけでなく、政府代表も過去最高の59カ国から集った。慰霊碑前から発せられた秋葉忠利広島市長の「平和宣言」をはじめ、潘基文(バンキムン)国連事務総長らのメッセージにも、核軍縮・廃絶に向けての強い希望がにじんでいた。

 希望の最大のよりどころは、言うまでもなく核超大国アメリカに今年1月、オバマ大統領が誕生したことである。就任前から「核兵器のない世界の実現を目指す」と訴えていたオバマ氏は、4月のプラハ演説で「原爆を使用した唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」とまで言った。

 米国の歴代大統領がこれまで口にしなかったその言葉は、さまざまな疾病を抱えながら、核廃絶と不戦を訴え続けてきた多くの被爆者たちにも大きな希望と期待を与えた。

 そして、ちょうど1カ月前の7月6日、オバマ大統領は、ロシアのメドベージェフ大統領との間で、戦略核弾頭数の上限やミサイルなどの運搬手段の削減に合意した。

 だが、この地上にはなお米ロを中心に2万個以上の核兵器が存在し、約1万個の核弾頭が実戦配備されている。北朝鮮の核兵器やミサイル開発、イスラエルの核保有に対抗してのイランの核開発疑惑、さらにはイスラム武装グループなどによる核テロの脅威…。

 核軍縮・廃絶への希望の一方で、人類は厳しい現実に直面している。こうした状況下で被爆国日本の役割はどうあればいいのか。

 これまでのように国連などで核兵器廃絶決議を求めながら、米国に「傘の核で守ってほしい」と要請していたのでは、国際社会から核政策への「2重基準」と批判され、核廃絶への強いイニシアチブは取れまい。オバマ政権の核軍縮政策への障害にさえなっているのが実情だ。

 オバマ大統領はプラハ演説で、膨大な数の核兵器は「冷戦時代の最も危険な遺産」と述べた。その遺産は、核抑止力という考えに基づいて築かれてきたものだ。相手への不信と恐怖。それを前提とする限り、核軍縮も廃絶も望めない。

 今、日本政府に求められているのは、冷戦思考から抜け出し、「核の傘」ではなく、「非核の傘」を北東アジアや世界に広げるための外交努力をすることであろう。被爆地の広島・長崎と連携して、国内外で原爆展を開き、核戦争の本当の恐ろしさを多くの人々に伝えることである。

 北朝鮮との交渉は決して容易ではない。だが、6カ国協議の枠組みだけでなく、クリントン元米大統領が特使として北朝鮮を訪ねたように、日本も中国や韓国などと協力しながら積極的な接触を試みるべきだろう。

 北朝鮮も「攻撃されない」との保障があり、そのことでより得られるものがあれば、非核の道を選択する可能性は十分にある。そのために粘り強く信頼醸成を図るほかない。

 この日、平和記念公園やその周辺では、中高生らがオバマ大統領を広島に招請するための募金をしたり、原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴に込めた平和への願いを伝えたりするなど、若い人たちの反核・平和への取り組みが目立った。

 式典で子ども代表は「話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する」と訴えた。総選挙後に誕生する新政権に求められるのは、文字通り子どもたちのこの精神を体現することであろう。人類と次世代に対して、被爆国としての「道義的責任」を果たす道でもある。

(2009年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ