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社説・コラム

非核自治体 行動の時 欠かせぬ地方からの「風」

■記者 林淳一郎

 「核兵器廃絶」「非核三原則の堅持」―。全国の8割に当たる約1500自治体が非核宣言を定め、地方の立場から平和の精神をうたっている。一方、被爆国日本の政府は米国の「核の傘」に安全保障を頼り、国是である非核三原則は核持ち込みの密約問題で揺れる。核兵器廃絶を求める国際的な機運に合わせ、地方は非核の風を起こせるのか。「わが町の宣言」を礎にした地域発の行動が欠かせない。

 7月26日、廿日市市の文化ホールを市民約740人が埋めた「平和の祭典」。市人口の2倍近くに当たる20万2877羽の折り鶴を市民らが寄せた。平和記念公園(広島市中区)の原爆の子の像に手向ける折り鶴運動は20年近く続く取り組みだ。

 「世界が平和でありますようにと、友達と心を込めて折った。みんなの気持ちが届いてほしい」。折り鶴を持ち寄った小中一貫校の宮島学園3年岡田英亮君(9)はほほ笑んだ。

 1985年、当時の廿日市町議会が核兵器廃絶廿日市町宣言を決議した。「世界唯一の被爆国民としての責務と考え、非核三原則を堅持し、日本国憲法に掲げられた恒久平和の理念を住民生活の中に生かし、二度とあやまちを繰り返させないために、核兵器の廃絶を訴える」―。

 当時、町議会議長として宣言に携わった前廿日市市長で被爆者の山下三郎さん(79)は「宣言を過去の遺物にしてはいけない。被爆国の市町村は、そこに暮らす人たちに世代を超えて平和の意識を呼び起こす責務がある」。地道な折り鶴運動も歴史を重ねれば、非核への願いを束ねるうねりになると信じる。

 地方自治体の非核宣言は東西冷戦さなかの1980年、英国マンチェスター市の呼び掛けで広がった。日本でも1980年代に相次いで生まれ、中国地方では広島県府中町がトップを切り、現在は議会の決議なども含め、広島、岡山、鳥取県のすべての市町村が宣言した。中国5県では県を含む115自治体のうち103が宣言している。

 東西冷戦当時の文言が刻まれたままの宣言もある。かつて戦艦大和を建造した港町、呉市。1985年に市議会が決議した宣言には「米・ソ超核大国」などの言葉が今も生きている。

 それでも今年5月の北朝鮮核実験後、宣言の精神が迅速な抗議行動につながった。

「もっと世界の核の現状に見合った内容が理想だが…」。抗議の議会決議を提案した一人、神田隆彦市議(47)は苦笑しながらも、「国の安全保障は政府の問題と思いがちだが、被爆県の一員として毅然(きぜん)とした態度を示すのは当然」と断言する。

 一方、2002年ごろからの市町村合併を機に、宣言を見直さざるを得なくなった自治体は少なくない。その一つの三次市は、8市町村による2004年の合併で旧自治体が法人格を失うのと同時に旧宣言は失効した。

 再宣言は被爆60年の2005年。識者や高校生11人でつくる検討委員会が文案を練り、市議会の議決を受けた。「合併で市域が広がり、平和への意識が高い地域とそうでない地域もある。宣言づくりのキーワードは市民参加だった」と市地域振興課の元廣修課長(55)は振り返る。

 「核兵器を捨てよと世界へ向けて訴えよう…」。宣言文には柔らかな言葉が並ぶ。毎年8月の「平和のつどい」で中学生が朗読し、同月の成人式でも読み上げられる。元廣課長は「宣言には市民の願いが凝縮されている。戦争を知らない世代が増える中、平和を考える機会を繰り返し、伝えるしかない」と話す。

 中国地方の未宣言の自治体は計12。「アクションは起こしたい」と前向きな姿勢もあれば、「宣言の予定はない」自治体もある。

 「核兵器のない安全な暮らしを望むのは被爆地広島、長崎にとどまらない。全国どこも同じ」。山口県原爆被爆者支援センターゆだ苑(山口市)の田村茂照理事長(78)は、同県内の自治体に宣言づくりを求めてきた活動を踏まえながら話す。

 全国には非核宣言を条例化した自治体もある。北海道苫小牧市(2002年)千葉県佐倉市(1995年)東京都三鷹市(1992年)などだ。「非核宣言は第一歩。自治体が宣言を基にどう行動を起こすかが今後の課題だ」と田村理事長。被爆国とは、非核の姿勢を貫き、行動する市町村の集合体だと強調する。


中国地方で最初に宣言  府中町の山田機平元町長
広島に隣接 住民が熱意

 中国地方で最初に非核宣言をした広島県府中町。当時、町長として宣言に踏み切った山田機平さん(79)=同町浜田本町=に、自治体が果たすべき役割を聞いた。

 宣言は1982年3月25日。町議会の全会一致を得た。しかし、基になったのは住民からの要望だ。広島市に隣り合う府中町は、広島の街に働きにでる多くの住民が被爆した。町内にも多くの被爆者が逃れてきて命を落とした。その一方で続いた世界の核軍拡競争。住民の危機感が宣言の背景にあった。

 そして今。核超大国の米国が「核兵器のない世界」を提唱している。そう簡単にできる発言ではない。一方、(日本国内の)市町村に現在、非核宣言をした当時ほどの盛り上がりがあるだろうか。

 「町を『非核地域』とする」。府中町の宣言はこう締めくくっている。非核宣言の自治体が日本全土を覆えば、被爆国として大きなメッセージになる。戦争をするのは国家だが、犠牲になるのは住民。その視点を忘れず、住民の安全を守る自治体から、非核に向けた声と行動を発信し続けなければならない。


全国協議会 加盟進まず

 非核宣言をした自治体が連帯する全国組織、日本非核宣言自治体協議会。ところが、宣言自治体が約1500に上る中、加入は255市区町村(7月1日現在)にとどまる。うち中国地方は21市町村だ。

 「自治体の財政難の中、分担金が必要なのも敬遠される要因」と協議会事務局の長崎市。人口規模などに応じ、年8万~2万円の分担金が求められる。「予算がつかない」と2007年度に脱退した米子市のような例もある。

 このため、協議会は活動内容の積極PR、事業の見直しに力を入れている。

 昨年から10組の「親子記者」を募り、「原爆の日」の8月9日前後の長崎を取材してもらう活動を始めた。今年からは未加入自治体や市民団体も対象に、ミニ原爆展の開催を呼び掛けている。原爆投下直後の広島、長崎の写真20点をCDに収めて無料で貸しだす。

 協議会事務局は「宣言自治体の横のつながりを深め、国際社会に届く世論をつくりたい」としている。

(2009年8月3日朝刊掲載)

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