×

社説・コラム

旧セミパラ 初の核実験から60年 広島大原医研 星正治教授に聞く

■記者 林淳一郎

 旧ソ連がカザフスタンのセメイ(旧セミパラチンスク)で初の核実験をして29日で60年となる。1989年まで大気圏や地下で続けた実験は計450回を超え、100万人以上もの被曝(ひばく)者を生んだとされる。15年近く現地で放射線被害の実態を調べ、25日に再び現地へ向け出発した広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市南区)の星正治教授(61)=放射線生物・物理学=に、東西冷戦の「被害地」の今を聞いた。

  ―核実験の影響は今も深刻ですか。
 最後の核実験から20年がたち、放射線の直接の危険はもうほとんどない。しかし、実験場の東100キロで、自然界で1年間に浴びる量の100倍以上が1回の実験で降り注いだ村もある。上空に巻き上げられた放射性物質は風に流され、周辺の村を襲ったからだ。風向きは毎回違い、被災エリアは拡大した。

 放射線が人体に及ぼすリスクを解明するため、1995年から現地の研究所などと協力して土壌や建物に残る放射線量を調べ、当時の被曝状況を推定している。被爆から64年がたつ広島と同様、住民は今も世代を超えて健康被害の不安を抱えている。

  ―健康被害の実態は。
 地元の医師によると、がんや白血病を発症する頻度が高いという。ただ核実験との因果関係は明らかとはいえない。広島の被爆者に見られたように、倦怠(けんたい)感を訴える住民は多い。

 被害調査はまだ骨格が見えてきた段階。各地に降り注いだ放射性物質が土や水を汚染し、それらを体内に取り込んだ人の健康にどれだけ影響しているのか、(内部被曝の)調査も必要だ。

  ―現地の被曝者ケアは進んでいますか。
 私が知る限り十分とはいえない。健診のため広島から医療機器も届けられているが、広島の医師が赴かなければ使いこなせないようだ。現地医師の技術向上、被曝の実態を究明する研究者の養成が課題だ。

  ―被爆地広島が果たす役割は。
 まずは専門家の人的交流だろう。カザフスタンにはウラン鉱山が多く、新たな被曝者が生まれる可能性もある。広島が培ってきた被爆者医療のノウハウを生かすと同時に、放射線を防護する方法を充実させていくことも重要だ。

 今年7月、広島・カザフスタン友好協会(仮称)を設立した。両地の専門家が手を携え、調査や研究の成果を被災地支援に生かせるよう、協会の代表として責務を果たしたい。広島大や広島県、市などでつくる放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)、非政府組織(NGO)などとも連携し、さらなる支援をしたい。

セミパラチンスク核実験場
 旧ソ連最大の核実験場で、面積は四国とほぼ同じ約1万8500平方キロ。1949年8月29日、プルトニウム爆弾を使い旧ソ連初の核実験を実施。89年10月まで大気圏や地下で繰り返した。今年3月、カザフスタンなど中央アジア5カ国の非核兵器地帯条約が発効。核兵器の開発や製造、保有を禁じている。

(2009年8月26日朝刊掲載)

関連記事
不戦誓う力を結集 旧ソ連核実験被害学ぶ 中区で医療団報告(09年7月13日)
セミパラ被曝 広島大原医研の星教授ら 線量推定方式を確立 「広島・長崎にも応用」 (08年3月18日)

年別アーカイブ