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社説・コラム

オバマ氏広島訪問の意味は

■記者 明知隼二

 オバマ米大統領の広島訪問を求める声がさらに強まっている。11月の初来日に合わせた訪問は見送られる公算となったものの、大統領のノーベル平和賞受賞決定もあり、被爆地の期待は膨らんでいる。一方、大統領の訪問を核兵器廃絶の目的だけでとらえてはならないとの指摘もある。

 今年8月、「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」を出版したジャーナリスト、元共同通信ワシントン支局長の松尾文夫さん(76)=東京都世田谷区=は「日米の相互和解、さらにはアジアとの歴史的な和解への契機とすべきだ」と主張する。

 原爆投下国で最大の核超大国の大統領訪問の意味をどう受け止めるべきか。松尾さんと、被爆者の岡田恵美子さん(72)=広島市東区=に語ってもらった。

相互和解の第一歩に 首相は真珠湾献花を

元共同通信ワシントン支局長 松尾文夫さん

 核兵器の廃絶を訴え続けてきたヒロシマにとって、オバマ米大統領の広島訪問は確かに大きな意味を持つだろう。しかし大統領の訪問は、もっと大きな視野でとらえる必要がある。日本が米国と、さらにアジア諸国と、歴史的な和解をとげる契機とすべきではないか。

 日米はいまだに、戦争のけじめをつけることができていない。その意味で、米大統領が広島の死者に花を手向ける弔いの儀式は、大きな一歩となる。ただし、オバマ大統領は現実政治の人だ。広島に来るとしても、米国内の保守派対策を考えた上で、「核なき世界」への取り組みをPRするパフォーマンスの意味合いが強いだろう。

 それでも、ともかく広島に来ることは重要だ。フォード政権(共和党)やクリントン政権(民主党)下でも米側は広島訪問を検討している。米国は間違いなくヒロシマを意識している。私もブッシュ政権時代に米紙に寄稿し、大統領の広島訪問と献花を提案した。その反響は今も続く。

 ただ、和解には「相互性」が重要となる。米大統領の広島献花には、日本の首相が真珠湾への献花で応えるべきではないか。原爆被害と真珠湾を一緒にされてはたまらないという見方もあるかもしれない。しかし、戦争の死者を弔うという一点では共通しうるのではないか。

ドイツの知恵

 私が「相互献花」にこだわる原点は、1995年にドイツ・ドレスデンであった爆撃50年の追悼式典だ。米英軍の空襲で3万5千人が犠牲となった街での式典に、米英軍のトップが出席した。日本ではまだこうした儀式は実現していない。

 当時のヘルツォーク・ドイツ大統領の演説も立派だった。ナチスの犯罪による死者と無差別爆撃による死者とは相殺できるものではないとし、謝罪や告発ではなく、死者を弔うという人類最古の価値により一致を目指した。

 米英代表による謝罪の演説などはなかったが、その場を訪れ、花を手向けたことに象徴的な意味がある。和解を実現したドイツの知恵に、日本が学ぶことは多い。

 ドレスデンでの和解の実現には前提があった。ナチスの犯罪に対するドイツ歴代指導部の明確な謝罪や補償の努力、フランスとの間での共通の歴史教科書づくりなど、過去の歴史に向き合う徹底した取り組みがあった。それが日本との大きな違いだ。

 日本は中国や韓国、北朝鮮などとの間に、いまだ解決しない歴史問題を抱える。だからこそ、死者の弔いを軸とした日米の相互訪問と和解を実現し、さらにアジア諸国との歴史和解につなげなければならない。

アジアも視野

 この点で、鳩山由紀夫首相が国連安全保障理事会で各国の指導者に広島・長崎訪問を呼び掛けたのはうなずける。まずは11月のオバマ大統領の初来日の際に、日米の相互献花で合意してほしい。そのうえで、例えば中国なら、国家主席を広島に招く一方、日本の首相が南京や重慶に献花する方法もあるだろう。

 来年は「韓国併合」100年でもある。新しい日本外交の中で、ヒロシマが東アジアの歴史的な和解の出発点になるという大きな視野を持つ時期に来ているのではないか。それは、核兵器廃絶というヒロシマの変わらぬ主張とは矛盾しないはずだ。

人間同士の信頼が鍵

被爆者 岡田恵美子さん

 核兵器廃絶を訴え続けてきた被爆者にとって、オバマ米大統領の「核なき世界」という言葉に、長年の活動の中で初めて光を見るような思いがした。大統領が広島を訪れて花を手向けることには大きな意味があると思う。

 私は原爆資料館のピースボランティアとして、外国の方をガイドしたり被爆証言をしたりするときに、必ず日本の過去の過ちに触れることから始める。アジアから訪れた多くの観光客から、かつて日本がアジアでいかにひどいことをしてきたかを学んだから。

 資料館を訪れた中国や韓国の若者の中には、祖父が日本軍に殺されたり、名前や言葉を奪われたりしたという人もいた。たとえ国同士が政治や金銭で歴史問題を「解決」したとしても、当事者は決して解決しない思いを抱えたままだ。それを知ると、日本の被害を語るだけでは不十分だと思うようになった。

 私はガイドや証言を通じ、核兵器の悲惨さを変わらず訴え続けている。ただ、相手の痛みに思いをはせるようになってから、私の言葉が相手の心に届いたと感じることが、確かに増えたように思う。

 国同士の関係の根本にあるのは、私たちがつくる人間同士の信頼関係だ。次代を担う若い人たちには特に、アジアの過去のことをしっかりと学び、若者同士で対話の場をつくりだしてほしい。

ドレスデン爆撃
 1945年2月13~14日、米英軍がドイツ東部ドレスデンを無差別爆撃した。第2次世界大戦中の都市空襲の中で最大規模で、爆弾と焼夷(しょうい)弾により街の大半が破壊された。旧東ドイツ時代、ドレスデン市は約3万5千人が犠牲になったと発表した

まつお・ふみお
 東京都中野区出身。共同通信バンコク支局長、ワシントン支局長などを歴任。2004年、著書「銃を持つ民主主義」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。米国専門のジャーナリストとして活動している。

おかだ・えみこ
 広島市東区出身。8歳のとき爆心地から2.8キロの自宅庭先で被爆した。これまでに米国やドイツ、ポーランド、ウクライナ、インド、パキスタンで被爆体験を証言。現在、原爆資料館のピースボランティアも務める。

(2009年10月19日朝刊掲載)

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