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社説・コラム

ヒロシマと世界: ヒロシマはすべての人々の心のよりどころ

■ダイアナ・ルース氏 平和運動家・ジャーナリスト(米国)

ルース氏 プロフィル

 1948年4月、オハイオ州アクロン市生まれ。1977年、ペンシルベニア大学で修士号(社会学)を取得。フィラデルフィア市にあるSANE教育基金ラジオプロダクションのプロデューサーとして、1980年に広島国際文化財団主催の「米地方紙記者広島・長崎招請計画(アキバ・プロジェクト)」に選ばれ、約1カ月間、両被爆地で取材。その取材を基に「核時代の影」と題して10本の番組を制作し、全米400のラジオ局で放送された。1981年にオハイオ州オービリン市へ。オービリン大学長の秘書などを務める傍ら、同大演劇科の教授らと協力して原爆劇「ヒロシマの怨念(おんねん)」を制作、オハイオ州内を中心に教会や学校などで上演を続けた。クエーカー教徒でつくる「アメリカ・フレンズ奉仕委員会」のメンバーとして、平和教育や反核活動に長年取り組む。著書に「生きるための教え―ヒロシマとナガサキからの物語」(2007年刊)など。

ヒロシマはすべての人々の心のよりどころ

 私は、自らの人生の半分を「ヒロシマ」とかかわって生きてきた。1980年に「アキバ・プロジェクト」に選ばれ、ラジオプロデューサーとして初めて広島を訪れたとき、私は核兵器のない世界実現のために献身する被爆者の姿に心を打たれた。

 当時、核兵器廃絶は不可能な夢に思われた。ロナルド・レーガン米大統領は、ソ連との間で前代未聞の核軍拡競争を繰り広げており、世界はいつなんどき吹き飛ばされてもおかしくないように見えた。実に恐ろしい時代だった。私の世代は、米マサチューセッツ工科大学のジョージ・ウォールド教授の言葉を借りれば、「未来があるかどうかもはや確信が持てない世代」であった。

 1980年代の米国の状況は、私がヒロシマについてリポートしたり語ったりすると、多くの人々が否定的な反応を示した。原爆が日本に投下されたのは当然だ、と退役軍人たちは言った。ロシア人に遅れを取ってはならない、と大統領は公言した。戦争を防止するには核抑止力が必要だ、と将官たちは指摘した。ヒロシマについてなど聞きたくない、とほとんど誰もが異口同音に言った。

 なんと時代が変わったことか! 今では、ソ連は存在しない。日本は、米国の緊密な同盟国かつ貿易相手国の一つとなった。そして地球上に存在する核弾頭の総数は、1983年の6万5千個以上から、2009年には約2万3千個まで減少した。とはいえ、核兵器廃絶実現までには、なお長い道のりがある。

 1980年以来、私は幾度も広島を訪れた。被爆者へのインタビューは「生きるための教え―ヒロシマとナガサキからの物語」と題して、2年前に本として出版された。この本は好意的に受け止められており、増刷されている。私はしばしば全米各地を回り、ヒロシマと核兵器の問題について話をしている。

 アメリカ市民の態度は変わった。今日、私が多くの大学や地域の集会でヒロシマについて語ると、懐疑的な態度や批判的な姿勢に代わって、被爆者が体験してきたストーリーに興味や気遣いを寄せてくれる。被爆者は今どうしているのか、と人々は尋ねる。どうすれば原爆投下のことについてほかの人たち、特に若い世代に教えられるのだろうか。私たちに何ができるのだろうか、と人々は聞く。

 そして、今、米国は新しい大統領を持った。バラク・オバマ大統領はノーベル平和賞を受賞したばかりである。彼は将来への希望の象徴、創造者となった。

 これまでで最も重要なスピーチとなったノーベル平和賞受賞演説の中で、大統領は「この世が残酷さと困難に満ちていても、われわれは単なる運命の囚人ではない…われわれの行動は重要であり、歴史を正義の方向に向けることができる」と述べた。

 さらに、「平和を追求する者は、核戦争のため各国が武装するのを何もせず傍観してはならない」とも指摘した。

 当然のことながら、過去にも米国大統領の中には、同じような発言をしたことはあった。しかし、現大統領は、これまでとは劇的に異なる、より包括的なアプローチを取ることを決意している。

 史上初めて、オバマ大統領は核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には核兵器廃絶のために行動する道義的責任があることを認めた。「一国だけの取り組みでは成功させることはできない。しかし、われわれはそれを主導し、始めることはできる」。今年4月のプラハ演説で、大統領はこう誓った。

 米国とロシアはいまだ世界の核兵器の90%以上を保有している。オバマ大統領は、ロシアとの一連の新たな核兵器削減交渉や、「国家安全保障戦略における核兵器の役割」低下を含め、「核なき世界に向け具体的な措置を取る」ことを約束した。

 オバマ大統領は、ロシアが猛烈に反対していた核ミサイル迎撃システムを東欧に配備する計画を取りやめた。これにより、今月失効した第一次戦略兵器削減条約(START1)に代わる新たな条約に向け、米ロが合意する道が開かれた。新たな第二次戦略兵器削減条約(START2)では、両国の配備核弾頭数を1500―1675個に、また核ミサイルと戦略爆撃機の数を500―1100までそれぞれ削減するだろう。最終的な数字はおそらく800以下になるであろう。これらは、米ソ冷戦時代に軍拡競争が始まって以来、過去最低のレベルである。

 オバマ大統領は米上院に、包括的核実験禁止条約(CTBT)への批准を諮っている。これは、1963年にジョン・F・ケネディ大統領が署名した部分的核実験停止条約についての協議の中で浮上した構想であった。181カ国がCTBTに調印しているにもかかわらず、米国と少なくとも他の8カ国の批准なしには効力を発することはない。この条約への批准は実に重要な一歩である。もしどの国も核実験ができなければ、核兵器の製造や改良もできなくなるだろう。CTBTに関する議論は、来春、米国議会で始まるだろう。この極めて重要な条約に賛成票を投じるよう、上院議員たちを説得するための草の根活動はすでに始まっている。

 今年9月、オバマ大統領は、核軍縮・核不拡散をテーマにした国連安全保障理事会で、米大統領として初めて議長を務めた。そして、ニューヨークに集った各国指導者に対し、「拡散の脅威はその範囲においても複雑さにおいても増大している。われわれが行動しなければ、あらゆる地域で核軍拡競争を招き、想像できないほどの規模の戦争やテロが起きる可能性がある」と述べた。

 こうしたことは、2010年5月、国連で開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議に世界の首脳が集まる際、オバマ大統領が取り上げるであろう問題の幾つかを例示している。大統領は、NPT条約強化への支持を約束しており、順守しない国々は厳しい国際的制裁措置を受けることになるだろう。

 これらは単なる夢物語ではない。多くの米国民は、アフガニスタンへの米兵増派や、経済、気候変動、医療保険制度の改善が進まないことなど、オバマ大統領が最近とった行動に失望している。だが、同時に、ほとんどの国民は大統領が現代の最も困難な問題の幾つかを解決するうえで成果を挙げていると感じている。

 私はもともと楽観主義者である。この先数多くの挫折や苦難が起こり得るとしても、私は今、かつてないほど私たちは核兵器の全廃に近づいていると信じている。このことは、被爆者が沈黙に陥ってはならないことのもう一つの理由である。

 広島の人々は明確に、力強く発言し続けてきた。そうすることで、核兵器が人類におよぼす影響を知らしめ、世界の軍縮のために道徳的支柱を与えてきた。被爆者は勇気と慈悲の心を示し、被爆証言と真実を提供してきた。被爆者の体験や訴えがなければ、私たちの倫理観は抽象的なものとなり、政治的行動は空虚なものになっていたであろう。私たちに行動する力を与えてくれる道義的責任を感じることもなかったであろう。

 私は若者たちに話をするとき、核兵器はビデオゲームではなく、現実のものだと教える。核兵器は想像を絶する苦しみと悲しみをもたらす。中国、インド、パキスタン、イラン、朝鮮、中東を含め世界中の若者が、被爆者の体験を聞く必要がある。忘れ去られてはならないのだ。

 ヒロシマは、これまでもそうであったし、そしてこれからも世界中の核軍縮運動の中心であり続けるだろう。世界中の国々が、国連の場で核兵器の問題を解決するために知恵を出し合うとき、私たちは決して心を失ってはならない。

(2009年12月28日朝刊掲載)

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