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社説・コラム

寄稿 「NPT再検討会議を前に」 池田大作氏 

2015年に広島で「核廃絶サミット」を

■池田大作氏 創価学会名誉会長

 「平和の力」と「建設の力」の勝利の都こそ、広島なり―こう感嘆していたのは、中国の文豪・巴金(ぱきん)先生であった。

試練に挑みゆく人類にとって「ヒロシマ」は勇気の源泉だ。海外の地震の被災地でも、広島からの救援と聞けば、それだけで現地の人々は勇気づけられるとの話を耳にした。ヒロシマという響きには、不可能を可能にする希望の力が宿っている。

 1975年、被爆30年の年頭に、私は国連本部へ向かった。日本の青年たちが真剣に集めた核廃絶を求める署名簿を、事務総長に提出するためである。

 数日後、招へいを頂いたシカゴ大学で忘れられないものを見た。世界で初めて「核分裂の連鎖反応」に成功したことを記念する碑である。この成功が原爆開発に現実味を帯びさせた。

 一方、原爆完成のめどが立った時、使用を断念するよう求めたのも、同大学で開発に携わっていた科学者たちであった。

 まさに核兵器には、誕生時から重大な懸念がつきまとっていた。だからこそ「その使用を絶対に許さない」との意思を、さらに強固な民衆の連帯で示しゆくことを、私は深く決意した。

 このシカゴ大学の法科大学院で教壇に立った経験を持つオバマ大統領が、核廃絶に向けた決意を最初に表明したのは2007年10月。大統領選への出馬表明より数カ月後のことだった。

 中国新聞に、その時のエピソードが紹介されていた。

 場所は同じシカゴ市内にある大学のキャンパス。広島平和文化センターの企画する原爆展の準備をしているところへ突然、オバマ氏が現れた。学内での講演のためだ。原爆被害を伝える写真パネルが両側に並ぶ廊下を歩き、氏は会場に向かう。そこで初めて「核兵器のない世界を目指す」と表明したのである。

 当初から核問題への言及は予定されていたともいう。だが私には、核兵器の非人道性を訴え続けてこられた被爆者の大情熱が、時代の底流を動かし始めた象徴の劇と、思えてならなかった。

 「広島・長崎への原爆投下」は、20世紀の世界の最も衝撃的な出来事に挙げられる。しかし、実際に何が起こったかを胸に刻む人は、まだまだ少ない。

 南米アルゼンチンの「人権の闘士」エスキベル博士も、広島の原爆資料館(平和記念資料館)には幾たびとなく足を運ばれている。博士は私に語った。

 「原爆の恐ろしさは知っていたつもりでしたが、想像を絶する悲劇であると学びました」

 昨年の5月、「核拡散防止条約(NPT)」再検討会議の準備委員会の折、日本から参加された被爆者の方々が私どものニューヨークの会館を訪問し、懇談会を行ってくださった。

 自分たちが味わった苦しみは、いかなる国であれ、誰人も二度と経験させたくないとの魂の叫びに、皆が胸を熱くした。

 同じ頃(ころ)に発信されたエスキベル博士ら世界の良識による「ヒロシマ・ナガサキ宣言」でも、これまで3度目の核使用を避け得たのは単なる僥倖(ぎょうこう)ではない、「世界へ呼びかけ続けてきた被爆者の方々の強い決意」があったからと鋭く指摘されていた。

   今、世界で反響を広げる、被爆者による「証言DVD」(創価学会インタナショナル制作)で、一人の母は切々と語っている。

 「核のこの悲惨さ、人間が人間を殺し合う愚かさを、二度とやっちゃいけないと伝えていくために、私は今、生きているんじゃないかと思うんです」

 核兵器廃絶への道のりは遠いとの認識は、いまだに根強い。オバマ大統領でさえ「恐らく私の生きているうちには達成されないだろう」と留保する。

 だが私は、困難は伴っても、一つの楔(くさび)を打つことで核拡散の濁流を塞(ふさ)ぎ、大きく核廃絶への突破口が開かれると確信する。その楔とは「核兵器の使用禁止」を国際規範にすることだ。

 すでに核兵器は、抑止論的な意味合いはともあれ、軍事的に“ほぼ使用できない兵器”との位置づけが保有国の間でも定着しつつある。ゆえに、規範を確立し、抑止論の命脈を絶てば、核保有に固執し続ける意味は、急速に失われるに違いない。

 そこで私は、5月に国連本部で行われる、NPT再検討会議で、使用禁止への道筋を開く作業の着手を強く呼びかけたい。そして、5年以内にこれを法制化し、原爆投下から70年にあたる2015年に、「核廃絶サミット」を広島と長崎で開催することを提案したいのだ。  「生きている間に、核兵器の廃絶を見届けたい。今までそのために生きてきた」―私たちが昨年、聞き取りをした85歳の被爆者の方の声である。人生を賭(と)した、この核廃絶への真情を世界に伝える場として、再検討会議の討議に入る前に、被爆者の代表がスピーチする機会を設けることはできないだろうか。

 「核兵器はなくせる」―中国新聞の特集のタイトルには、広島の勇気の誓いが結晶している。被爆者の方々の平均年齢が75歳を超えるなか、若い世代への心の継承も進む。「10代がつくる平和新聞 ひろしま国」を、私も愛読する一人である。

 私の知る広島の青年たちも、若き熱と力で「核なき世界」を創(つく)るとの決心で行動している。

 被爆2世の若き映像作家は、アメリカの原爆開発に携わった物理学者の娘である女性画家と平和を訴える作品を共同制作して、国連本部などで展示した。

 核廃絶への道を“現実”が阻んでいるのなら、世界の民衆が連帯して“新しい現実”を生み出し、ゴールへの足場をつくればよい。先月、民衆が主導してきたクラスター爆弾禁止条約の発効が決まった。これに続いて「核兵器禁止条約」を民衆の力で成立させようではないか。

 広島への原爆投下で、世界の歴史は変わった。その苦難を勝ち越えた「ヒロシマの心」が、新たな人類史を創りゆく平和の春が来たと、私は確信する。

池田大作氏 プロフィル
 1928年、東京都生まれ。これまで世界54か国・地域を訪問し、各国の指導者、文化人、学者らと会見、対談を重ねる。主な著書に「21世紀への対話」(A・トインビーとの対談)など。「国連平和賞」をはじめ多数の受賞歴がある。


(2010年3月16日朝刊掲載)

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