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社説・コラム

東ティモールと被爆地の平和対話 

■広島大大学院国際協力研究科准教授 上杉勇司

大統領へ託す広島の願い

 東ティモール紛争の平和的な解決に尽力し、1996年にノーベル平和賞を受賞したジョゼ・ラモス・ホルタ東ティモール大統領が広島を訪問する。被爆地において核兵器廃絶に向けたメッセージを発信するとともに、湯崎英彦広島県知事や秋葉忠利広島市長を交えて市民と平和の問題について対話することが目的だ。

 ポルトガルの植民地だった東ティモールは第2次世界大戦時、旧日本軍の上陸によって戦場と化した。日本の敗戦後はポルトガル支配下に戻るが、独立運動の混乱に乗じて介入した隣国インドネシアによって1975年、軍事的に併合されてしまう。

選挙監視で支援

 その後も解放独立闘争は続き、1999年には住民投票により独立を選択した。だが反対する民兵たちによって破壊と殺戮(さつりく)が行われ、多くの住民が命や財産を奪われた。

 ようやく独立を果たしたのは2002年。背景には、国連平和維持活動(PKO)など日本も含めた国際社会の支援もあった。私も文民の選挙監視員として何度も現地を訪れ、平和構築の取り組みを支援してきた。

 当初、独立の喜びと自らの手で国づくりを担う使命感に燃えていた若者たち。夜を徹して平和や新国家建設について語り合っていた。そうして今では大臣など政府の要職に就いた者もいる。

内戦の傷跡深く

 しかし独立はしたものの職はなく、閉塞(へいそく)感を抱き、希望を失う若者も少なくない。内戦の傷跡も深く、肉親を殺され、家を追われた人々は、互いのわだかまりを捨てることができていない。政治家の権力闘争に利用されて暴徒化した若者もいた。

 2008年にはラモス・ホルタ大統領が反乱兵に襲撃され、瀕死(ひんし)の重傷を負うなど、険しい平和構築の道のりを歩む東ティモール。その大統領が広島を訪問し、被爆者や学生たちと対話をすることにどのような意義があるだろうか。

 まず被爆地としての過去を背負いつつ、平和のシンボルとなった広島の生きざまを間近に見聞きしてもらうことに重要な意味がある。暗い過去から明るい未来を切り開いていく力は、広島でこそ実感できるからだ。

 そして広島市民は長い歳月を通じ、原爆の悲惨さを世界に向けて語り継いできた。人類が過ちを二度と繰り返さないためには、そうした被爆地の想(おも)いが世界の人々に共感され、共有されなくてはならない。ノーベル平和賞受賞者として世界的な影響力を持つラモス・ホルタ大統領に、この願いを託したい。

 さらに、被爆地と東ティモールとの平和交流が深まることにも期待したい。今回の対話集会を、広島県と広島市が協力して平和構築に取り組む第一歩と位置づけ、広島と東ティモールの将来を担う若者たちがともに考え、刺激し、学び合う場をつくれないだろうか。  それは平和都市広島の行動と役割について、未来志向で世界中の知恵を出し合う場にも発展しうる。被爆地に脈々と息づく想いを形にしていく営みにもなるだろう。

うえすぎ・ゆうじ
 1970年静岡県生まれ。英ケント大で博士号取得(国際紛争分析学)。2006年から現職。広島平和構築人材育成センターのプログラムオフィサーなども務める。

(2010年3月13日朝刊掲載)

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