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社説・コラム

「核兵器はなくせる」 ラモス・ホルタ大統領との対話 詳報

■記者 金崎由美、林淳一郎、村島健輔

 ノーベル平和賞を受賞している東ティモールのジョゼ・ラモス・ホルタ大統領(60)と被爆者・学生による「ラモス・ホルタ大統領との対話~核兵器廃絶と平和構築を目指して」(中国新聞社主催、外務省、広島県、広島市後援、広島大協力)が19日、広島市中区の原爆資料館東館であった。紛争を乗り越え平和国家としての歩みを始めた東ティモールと、65年前の惨禍から復興した被爆地とを重ね合わせながら、約300人が対話に聞き入った。

≪パネリスト≫

東ティモール大統領 ジョゼ・ラモス・ホルタ氏

▽被爆者
 松島圭次郎さん(81)
 岡田恵美子さん(73)

▽学生
 池田雄さん  (21) 広島修道大法学部3年
 青山睦紀さん (23) 広島大総合科学部4年
 坂本沙織さん (21) 広島大教育学部3年
 太田ひかりさん(22) 広島大生物生産学部3年

≪コメンテーター≫

 湯崎英彦広島県知事
 秋葉忠利広島市長

≪司会≫

 上杉勇司・広島大大学院国際協力研究科准教授
 田城明・中国新聞社ヒロシマ平和メディアセンター長


【核兵器廃絶】

 松島さん 被爆したのは16歳の時。焼けただれた被災者が列をなし、静かな夏の朝は一瞬のうちに地獄と化した。広島は多くの苦難を乗り越えて復興し、こんな悲劇が繰り返されないよう願っている。今こそ核兵器のない世界に向け、人々が協力する時だ。憎しみではなく、友情や思いやりを持ち、かつては敵国の米国の人とも連携して、そんな世界をつくっていきたい。

 大統領 犠牲者への謝罪によって和解は成立する。経験からいえば、対立や紛争の犠牲者は何よりもまず真実を求める。その真実を当事者が認め、謝罪することにより、ともにこれからを歩んでいける。松島さんの「相手を許す」という姿勢を心強く感じた。

 岡田さん 私は8歳で被爆した。姉は元気よく家を出て行ったきり、帰って来なかった。「助けて」「水を」。みんな手を空に向けて亡くなっていった。子どもの犠牲は許されない。今なお2万発以上の核弾頭があると聞く。核兵器を人間が造ったのならば、なくせるのも人間だ。大統領は核兵器廃絶と世界平和を訴え続けてください。

 大統領 核兵器は脅威だ。保有国の軍縮を望んでやまない。旧ソ連は強力な軍隊や大陸間弾道ミサイルを持ちながら、体制を維持できずに崩壊した。平和や正義、公正さ、民主主義、人間の尊厳こそが力になる。広島の経験を踏まえて保有国に廃絶を訴えないといけない。ビジョンを持った指導者たちが対話を始め、廃絶に同意していくことが重要だ。

 池田さん オバマ米大統領は昨年4月のプラハ演説で廃絶には忍耐とねばり強さが必要と指摘した。その点で被爆地広島、長崎はどの地域にも負けないと思う。核拡散防止条約(NPT)を脱退宣言した北朝鮮、未加盟のイスラエルは核を持ち、イランは核開発が疑われている。一方で国際社会は廃絶へ動きだそうとしている。転換点の今、日本や広島はどんな役割を求められていると大統領は考えますか。

 大統領 日本はこの地域でリーダーシップを発揮することができる。中国や韓国との関係をさらに深めてほしい。3カ国は豊かになったものの、互いの不信は残っている。第2次世界大戦がまるで10年前だったかのようだ。日本の政治に立ち入ってはいけないが、地域の良好な関係をはぐくみ、米国に対しても着実で安定したアプローチが必要ではないか。

 秋葉市長 アジアにもっと重点を置くことにわれわれは注意を注ぐべきだろう。市レベルの指導者のリーダーシップも大事だと思う。平和市長会議には3680人の市長が参加している。全力を尽くし、2020年までに核なき世界を実現したい。オバマ大統領は生涯のうちに廃絶できないだろうとするが、結束して取り組むことで達成できると信じている。

 湯崎知事 核兵器の拡散、使われる脅威はむしろ増大している。どう止めるか。まずは保有国に対し、核兵器を使うべきではないとの国際的な圧力を強める。核がどんな結果をもたらすのかの想像力が必要であり、世界のリーダーに広島を訪れてほしい。さらに核を使う原因となる相互不信を除去し、信頼を築く。これらの努力が欠かせない。

 大統領 NPTができて以降も核兵器保有国が増えた。残念だ。オバマ大統領が登場し、米国とロシアは核削減交渉を進めている。オバマ大統領に会った時、「一緒に努力しよう」と言われた。それは「世界の市民と一緒に」との意味だ。国際世論をつくっていくには、草の根の支援が不可欠だ。


【平和構築】

 青山さん 私は親を亡くした子どもたちを支える活動を国内外で続けている。ただ思いだけでは現状は変えられない。大統領はどんなビジョンを持ってリーダーになろうと思ったのですか。

 大統領 自分からなろうと思ったのではなかった。2006年の政治的危機の際、首相にと請われた。国防相を兼務し、兵器を新たに購入しないと宣言した。

 リーダーは社会の亀裂を埋め、人々の心を癒やすことが大事だ。自分のビジョンを持ち、説明できることも必要だ。

 坂本さん 私は津波被害に遭ったインドネシアを訪れたり、フィリピンのごみの山で暮らす子どもたちの映画を上映したりする支援活動を続けている。世界には明日が来るのが当たり前ではない人もたくさんいる。東ティモールの人たちが平和を実感するために、日本や広島にできることは何だと思いますか。

 大統領 日本には道路を造り、人材育成に協力するなど十分な支援をしてもらっている。中長期的には日本や米国、欧州の市場開放を望みたい。

 太田さん 昨年夏にインドネシア・スマトラ島へ行き、紛争や津波で両親を亡くした子どもたちに復興した広島のことを紹介すると歓声が上がった。争いを繰り返さないためにはどのような教育が必要だと思いますか。

 大統領 昨年、首都ディリを「平和の市」にする計画を始めた。政治的リーダーや若者間の対話を通じ、すべての人が自分は何をすべきかとの認識を高め、国内の緊張を緩和したい。

 湯崎知事 広島は人づくりに取り組んでいる。国連訓練調査研究所(ユニタール)事務所を誘致し、アフガニスタン復興を担う人材を育成している。復興にはお金と技術、そして復興できるとの信念が大切だ。広島が実践してきたことでもある。それを世界に伝えることが大切だと思う。

 秋葉市長 私たちは価値観が大きく変わろうとする時代にいる。国対国という構造や軍事同盟などのモデルは時代遅れ。国と国、都市と都市が協力するモデルが必要だ。

 大統領 日中韓のリーダーが貧困と闘い、平和なアジアをつくるべきだ。なお不信感があるのは理解しているが、国際社会は変化している。各国のリーダーは過去の不信感をぬぐい去らなければならない。


【大統領基調講演・要旨】

ヒロシマ―千羽鶴の都市から核兵器も貧困もない世界へ

 わが国は現在、危機を乗り越え、平和を享受している。2009年は14%の経済成長を記録した。各国と友好を深め、インドネシアとの関係も強化している。

 命の尊さは不可侵との信念から、主要な人権条約をすべて批准し、死刑を禁止した。生きる権利、恐怖と拷問からの解放、思想と信仰の自由といった普遍的価値はわが国に根付いている。

 昨年9月の国連安全保障理事会首脳級特別会合で、オバマ米大統領の力強い演説を聞きながら、私は心を千羽鶴の街ヒロシマに向けた。

 そして今日、ここ広島で佐々木禎子という少女と、第2次世界大戦のすべての犠牲者に頭を下げた。

 わが国は、核兵器廃絶に向けた日本のリーダーシップを支持する。人類は大量破壊兵器、通常兵器、クラスター弾、地雷の廃絶に取り組むことを誓うべきだ。同時に国境紛争や相互不信、偏見、無知など、戦争の根底にあるものにも目を向けなければならない。

 アジアは最も勢いのある地域だ。世界人口の半分を占める。だが国連での発言権は一致しない。安保理改革を通じ、アジアの発言権を強めたい。

 アジアはまた、最も複雑な地域でもある。核兵器を持つ国があり、貧困、民族間の緊張、領土紛争が続く。平和と繁栄の「アジアの世紀」をつくれるかは、日本、中国、韓国が過去の問題を乗り越えて関係を築いていけるかにかかる。

 パートナーシップにより、多様性のある世界をつなぐ橋を架けることができれば、人々は共通の課題に気づき、行動を起こす。21世紀の世界は指導者だけでなく、一人一人が変化をもたらすことのできる世界だ。

 大量破壊兵器の廃絶を10年以内に達成するよう保有国に迫ろう。気候変動への取り組み、持続可能な開発、貧困の撲滅などに合意するよう大国に訴えよう。核兵器も戦争もない世界は、われわれが生きている間に実現可能だ。


ジョゼ・ラモス・ホルタ大統領
 1949年、ディリ生まれ。東ティモール独立問題の平和的解決に尽力し、1996年にノーベル平和賞を受賞。2002年5月の独立時に外務・協力担当上級相。首相兼国防相を経て2007年5月、第2代大統領に就任した。

東ティモール
 ポルトガルの植民地支配や旧日本軍による占領などを経て1975年、独立宣言。しかし反独立派との国内対立が生じ、インドネシアが軍事侵攻した。同国の政権交代を機に独立への機運が再び高まり、1999年の住民投票に基づき2002年5月、独立を果たした。
 しかしその後も治安は不安定で、日本も2004年5月までの約2年間、国連平和維持活動(PKO)で陸上自衛隊を派遣した。現在、国内の混乱は収束に向かっている。
 国土はティモール島の東側と飛び地もあり、人口は約110万人。首都ディリ。輸出用のコーヒー栽培や石油・天然ガス開発に力を入れている。

(2010年3月22日朝刊掲載)

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