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社説・コラム

憲法を語る 前広島市長 平岡敬さん

 日本国憲法は3日、施行から63年となる。敗戦の混乱期につくられ復興から高度経済成長、バブル経済と崩壊、そして政権交代と、私たちがつくってきた社会とともに歩んできた。同時に今月18日には、2007年に成立した憲法改正のための国民投票法が施行される。あらためて憲法とは何なのか、憲法に盛り込まれた大切なことは、改めるとしたらどこが問われているのか。識者に語ってもらった。

ヒロシマと9条 平和の構築に生かせ

 憲法9条を原爆の惨状を体験した被爆地に即していえば、戦争は二度とすべきではない、核兵器は使われるべきではないとの誓い。あらゆる戦争を否定する精神の表れとして感激を持って憲法公布を受け止めた。そこから「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ウォー」の言葉も起こった。

 しかし冷戦時代は旧ソ連の、今は中国や北朝鮮の「脅威」を有力政治家やメディアもあおり、9条がないがしろにされてきた。しかも日米安保条約を憲法の上位に置き、変えられないという安保至上主義の考えが国民の間にすりこまれてきた。

 安保条約は1960年の改訂時から変質している。とりわけ東西冷戦が終わった90年代以降、日本は米国の軍事戦略に組み込まれた。沖縄に集中する米軍基地の根拠は安保にある。他の自治体への移設論議からも矛盾がはっきり見えてきた。日本の安全と平和を自らがどうつくっていくかの問題に帰着している。

 やはり9条を生かした外交努力を展開するべきだ。中国や北朝鮮からすれば、日本は米国の核兵器で武装しているとみて警戒心を解かない。日米軍事同盟が国際的な安全保障構築への障壁となっている。

 戦争放棄と戦力の不保持をうたう9条を「夢物語」と批判する人たちがいるが、中南米コスタリカや南極大陸で実現している。日本が世界に9条の精神を広めることは影響が大きい。理想に向かって努力することは国際社会の尊敬を勝ち得る。国土が狭く人口が都市に集まる日本は戦争ができない国だ。

 先の戦争に協力して、国民を不幸にした報道の反省に立って、戦後のメディアは出発した。広島で新聞記者となった私自身、民主主義の根づく社会の実現にどこまで取り組んだのか。じくじたる思いもあり「マスコミ九条の会」の呼び掛け人となり、地域で講演も続けている。

 周辺事態法や通信傍受法など個人の自由も制限し、米国の軍事戦略に協力する法律や仕組みが冷戦の終結後にできた。戦争は突然に起こるのではない。国民が脅威や不安をかきたてられ支持してしまう。メディアはきなくさい動きにもっと敏感であってほしい。

 米国の「核の傘」の下にいることを問わず核兵器の廃絶を訴えるのは自己欺瞞(ぎまん)だ。アフガニスタンやイラクで続く戦争にも反対の声を上げていかないと。核を使わなければ戦争はいいのか、その問いにヒロシマは答えているだろうか。沖縄や岩国の基地問題を視野に入れない核兵器廃絶の訴えはスローガンにとどまる。9条を平和をつくる力として生かすべきだと思う。

平岡敬氏
 1927年生まれ。中国新聞記者、中国放送社長を経て91年から8年間広島市長を務める。05年から「広島マスコミ九条の会」代表。

(2010年5月2日朝刊掲載)

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