×

社説・コラム

「廃絶」「共感」 NPT会議 前半終える

■記者 林淳一郎、新田葉子

 米ニューヨークの国連本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、28日まで4週間続く会期の前半を終え、折り返し点に差し掛かった。「核兵器のない世界」へと確実に前進するよう、広島からの約100人を含めて被爆者や市民ら約2千人が会議の開幕に合わせて渡米。現地で証言活動やデモ行進を繰り広げた。その「廃絶」への訴えは原爆投下国で、どう響いたのだろうか。広島から参加し、帰国した被爆者らに手応えを聞いた。

議定書 協議のテーブルに

日本被団協代表委員 坪井直さん(85)=広島市西区

 再検討会議に直接かかわるのは各国の政府代表であり、被爆者や市民の役割は、その外堀をいかに埋めるか。会議を成功させるため、核兵器廃絶を求める市民の署名を国連本部に届けた。会期中は原爆展も開いている。

 2020年までの廃絶への道筋を描く平和市長会議の「ヒロシマ・ナガサキ議定書」が、今回の協議のテーブルに乗るかどうかが気掛かりだ。被爆国日本政府こそ力を発揮する立場にあるはずだ。われわれの努力を水の泡にしてほしくない。

 1995年から計4度の会議を見てきて強く思うことがある。原子力開発が生む新たなヒバクシャ、核拡散の懸念と、核の問題は幅が広く、変化も早い。再検討会議は5年に1度と言わず、毎年でも開くべきではないか。

被爆体験語り心が通った

被爆者 田丸歌子さん(77)=広島市中区

 訪米は初めて。再検討会議が開かれる国連本部前などで、入市被爆した体験を語った。画家だった父、弟と見た広島の街は破壊され、遺体を焼く煙がいくつも上っていた。

 私の証言を聞く人たちの目に涙を見た。ひざを突き合わせ、心が通った気がした。道行く人に300枚の英文メッセージも配った。それは核兵器廃絶を願う「種」。受け取った人の心で芽を出してほしい。

 ネバダ州の核実験場も訪れた。放射線被害を受けたという周辺住民と交流し、平和記念館を造る構想があると聞いた。父が描いた被爆後の広島市街スケッチの複写を送ろうと思う。そして、遺伝子まで傷つけてしまう核の被害がどれほど深刻か、これからも一人一人に伝えていきたい。

生徒の熱心な質問に驚き

被爆者 森田節子さん(77)=広島市東区

 人の輪の広がりを感じた。一方、より多くの米国市民に被爆体験を伝えたいとの希望は思ったほどかなわなかった。言葉の壁や時間の制約もあり、せっかくの機会を生かせる状況になかった。再検討会議は政府代表が協議する場。私たち被爆者は、どれだけの役割を担えたのだろうか。

 ただ、学校での被爆証言で、生徒の熱心な質問に驚いた。交流を進めたいと新たな夢もできた。原爆展会場では旧広島県立第一高女(現皆実高)出身という米国在住の被爆者と出会い、現地ボランティアにも支えられた。つながりが芽生えた。

 5年後の会議の時、私はもう生きていないかもしれない。核兵器廃絶の達成を子どもたちに託すためにも、被爆体験を訴え続ける決意を新たにした。

たゆまぬ訴えの力を実感

「黒い雨」体験者 高東征二さん(69)=広島市佐伯区

 「黒い雨」を含めて原子雲の下で起こったことを知ってもらいたい。その思いを胸に初めて訪米した。自分の口で伝えたくて、知人の協力も得て証言を英訳し、ニューヨークの広場で英語でスピーチした。みんな真剣な表情だった。ただ、言葉の壁は厚く、意見まで交わせなかったのが心残りだ。

 核兵器廃絶を願うデモ行進にも参加した。65年間、被爆者がたゆまぬ訴えを続けてきたからこそ、今回の行動もあるのだと実感した。「核兵器はいらない」と、核保有国をはじめ世界の国々が思い至らなければ廃絶は難しい。広島、長崎の体験が何よりも重要になる。それを内外で共有していくために、私にもできることはある。今回の訪米で、それをかみしめた。

正面から考える人増えた

被爆2世 清政文雄さん(49)=広島市南区

 現地の中高2校で両親の被爆体験を語った。先生が驚くほど子どもたちは真剣に聞いてくれた。被爆者のように十分ではないかもしれないが、思いが伝わったとの手応えを感じている。次回の再検討会議にはより多くの被爆2世、3世も渡米して証言してほしい。

 訪米は2度目。5年前は「ブッシュ大統領が嫌いだから(被爆者たちを)応援する」との声を聞いた。今回は核兵器の問題に正面から向き合う人が増えたように感じた。デモ行進中、多くの人が手を振り、賛同の思いを伝えてくれた。

 私たちが会議の決定に参加できるわけではない。しかし核兵器廃絶を進める政治家を選ぶのは市民。一人一人に訴え掛け、その力をつないでいこうとあらためて感じている。

市民のつながり 原動力に

市民団体「Yes!キャンペーン実行委員会」事務局長 安彦恵里香さん(31)=広島市中区

 世界から約1万人が参加したニューヨークでのデモ行進に圧倒された。すごい熱気だった。一緒に歩きながら撮影し、ネット配信した。しかし、米メディアは報道しなかったようで残念だった。

 一方、日本政府は再検討会議の演説で「市民社会の熱意」を強調し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」にも触れた。訪米前に私たちは今会議での議定書採択を政府に求めた。その効果も少なからずあったと信じている。

 滞在中、米国在住の被爆者や欧州の青年に出会った。核兵器がもたらす悲しみ、悔しさを共有しないと、廃絶は当たり前にはならない。私たちが日ごろから自国の政府をどれだけプッシュするかも大事。市民のつながりをあたため、アピールの原動力にしたい。


米で証言や展示 若者の心動かす

■記者 岡田浩平

 米国の若者たちは、NPT再検討会議に合わせて渡米した被爆者の証言に触れ、「核兵器はいらない」との思いを強くしていた。

 国連本部ビル1階で日本被団協が開いている原爆展。惨禍を伝える写真に触れ、2人の女性被爆者から体験を聞いたブルックリンの中学生オリエ・ウィルグロットさん(13)は「米国がこんなに非人間的なことをしたとは許せない。若い世代は署名を集めるなど、大統領に核兵器廃絶と世界平和を願い出る義務がある」ときっぱり話した。

 被団協が現地に派遣した42人の被爆者は原爆展会場だけでなく、ニューヨーク市内や近郊の学校など約40カ所を訪れて証言を繰り返した。ブルックリンの公立高ではジョン・ランティグワさん(16)が「原爆投下が教科書の出来事ではなく現実になった」と感想を話し、「核兵器のない世界」を掲げるオバマ米大統領のリーダーシップに期待していた。

 悲惨さを伝えるだけでなく「報復よりも和解を」と訴える被爆者の姿勢に共感も広がっていた。市内の大学で坪井直日本被団協代表委員らの証言を聞いたプエルトリコ出身の大学教員エバ・バスケスさん(43)は「被爆者は、報復を続けても誰も幸せにならないことを教えてくれた。感銘を受けた」と話した。


パグウォッシュ会議 ダナパラ会長に聞く

■記者 金崎由美

 被爆者の声をNPT再検討会議に直接届ける意義は―。パグウォッシュ会議会長として、秋葉忠利広島市長らとともに7日の非政府組織(NGO)プレゼンテーションで演説したジャヤンタ・ダナパラ氏(71)に、ニューヨーク市内で聞いた。

 65年たった現在も被爆の苦しみを背負う生き証人を通し、核兵器の恐ろしさを知ることは、政府代表が核軍縮・核不拡散を議論する上で欠かせない。

 特に、「自国の安全を守るために核兵器が必要」と利己的な主張をする核保有国は、核兵器が人々の安全を脅かす兵器であることを被爆者から学ぶべきだ。NGOの発言はそのための機会だった。

 それだけで核保有国の意思や、会議の方向を一変させるのが難しいのも事実。政府関係者が心で感じたことが、国の安全保障政策を直接に左右するとは限らないからだ。

 しかし、例えば被爆者の声がNGOやメディアを通して発信されれば「決してこんなことが起こってはならない」という人間性に立脚した声として何倍にも増幅する。政府へのプレッシャーになる。

 日本を含む世界の人たちがニューヨークに集まって行進をしたり、何百万筆もの核兵器廃絶署名を持ち込んだことも大切だ。今回ほど市民社会の声が存在感を持つ会議はないだろう。

ジャヤンタ・ダナパラ氏
 1938年スリランカ生まれ。1965年にセイロン(現スリランカ)外務省に入省後、ジュネーブ国連代表部大使や駐米大使、国連事務次長などを歴任。1995年のNPT再検討会議の議長を務めた。2007年10月から現職。

(2010年5月17日朝刊掲載)

この記事へのコメントを送信するには、下記をクリックして下さい。いただいたコメントをサイト管理者が適宜、掲載致します。コメントは、中国新聞紙上に掲載させていただくこともあります。


年別アーカイブ