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社説・コラム

コラム 視点「国際社会に広まるヒロシマ・ナガサキの訴え、核廃絶へ一層の取り組みを」

■センター長 田城 明

   私事で恐縮だが、生まれて初めて手術のために入院した。物がゆがんで見えたり突然消えたりする「黄斑円孔(おうはんえんこう)」という目の病である。治療に必要なガスを目に注入するため、術後1週間から10日間は、ひたすら顔を下に向けていなければならない。長時間ベッドでうつぶせになっての生活。腰痛や息苦しさ…。私にとってそれは拷問にも似た時間であった。

 入院中、一人の被爆者に思いをはせた。原爆の熱線で背中や腕などを焼かれ、うつぶせのまま3年と7カ月の間、入院生活を余儀なくされた長崎の被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん(81)である。NPT再検討会議が開かれているニューヨークの国連本部で彼は、背中一面真っ赤にやけどをした被爆直後の自らの写真を掲げ、各国の政府代表や国連職員ら約300人に核兵器廃絶を訴えた。

 あまりの苦痛と絶望の中で、何度も「殺してほしい」と叫んだ谷口さん。奇跡的に生き残った彼にとって、生きるとは「苦悶(くもん)の日々」以外の何ものでもなかった。谷口さんや、闘病生活を強いられてきた多くの被爆者の計り知れない苦しみ。自身のささやかな入院体験は、被爆者が背負った肉体的苦痛の何十万分の一かを肌で感じるのに少しは役立ったかもしれない。

 無事退院後、再検討会議での各国政府代表や非政府組織(NGO)関係者の演説文をインターネットで入手し、読んでみた。日本被団協を代表して話した谷口さんの原稿も。彼のスピーチが終わると「出席者は次々と立ち上がり、万雷の拍手は1分近く鳴り響いた」と本紙は伝えていたが、素直にうなずけた。

 自らの苦しみや悲しみを乗り越え、核廃絶と平和、和解を訴える被爆者たち。彼らの心底からの呼びかけが、世界の人々の心を打つ。会議に合わせて渡米した多くの被爆者が、ニューヨークや近郊の学校などへ出向いて証言活動をしたという。交流した米国の子どもたちや市民の反応から、それぞれに確かな手応えを感じたに違いない。

 政府代表演説で、被爆者や、ヒロシマ・ナガサキに直接言及した発言は、日本を除いてほとんど見当たらない。しかし先進国、発展途上国を問わず、圧倒的多数の非核保有国は、米ロをはじめ核保有国に核軍縮を強く求めている。同時に不拡散体制の強化や、中東における非核兵器地帯の設置なども要求している。NGOだけでなく、核兵器禁止条約の交渉の場を早く設けるべきだとする国も少なくない。

 核保有国のイスラエルに対抗して、核兵器開発を進めているとの疑惑を持たれているイラン。イスラエル同様、NPTに加盟せず核対峙(たいじ)を続けるインド、パキスタン。北朝鮮の核保有…。地域的な問題が再検討会議全体に影響を及ぼす可能性は少なくない。

 だが、会議初日の冒頭演説で潘基文(バン・キムン)国連事務総長が強調したように、「核なき世界」を求める国際社会の希望と期待は、これまでになく高い。世界143カ国・地域の約4千都市が加盟する平和市長会議が象徴するように、ヒロシマ・ナガサキの持つ歴史的意義を理解し、共に核廃絶を訴える市民社会の輪も広がっている。

 大切なのはこの機運を逃すことなく、非核保有国やNGOなどと連携して、さらなる核廃絶のうねりをつくり出していくことだ。政府の代表演説では影の薄かった被爆国日本だが、核廃絶に向けた努力において「先頭に立つ道義的責任がある」と力説した。被爆体験の継承や軍縮・不拡散教育、市民社会との連携の重要性にも言及した。

 足元の日本、そして核保有国を中心に、被爆者による証言など原爆による被害の実態をもっと広く人々に知らせる必要があるだろう。「核抑止力信仰」を崩す最も効果的な方法は、谷口さんの例が示すように、核戦争の本当の恐ろしさを伝え、「世界の何人にも同じ苦しみを味わってほしくない」という被爆者らの心からの願いを知ってもらうことだ。

 NPT再検討会議の行方は気になるところだ。しかし、被爆国の日本の市民や世界の人々にとって、核廃絶に向けた今日からの取り組みが一層重要になる。私たちも「ヒロシマ記者」として、被爆地から有用な情報を発信していきたい。

(2010年5月17日朝刊掲載)

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