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社説・コラム

コラム 視点「世界の非核兵器国・NGOと連携し、日本は核兵器禁止条約交渉に向け主導を」

■センター長 田城 明

 「今こそ各国政府は、核兵器禁止条約の交渉を始めるときだ」

こんなメッセージを掲げて5日、米国や英国、フランス、ノルウェーなど世界25カ国50都市以上で市民らが反核イベントを開き、アピールした。広島市でもその夜、100人近い市民が原爆ドーム対岸の元安川の親水テラスに参集。ろうそくのほのかな明かりの下で、原爆犠牲者の冥福を祈り、核廃絶を誓った。

 最終文書を採択し、5月28日に閉幕した核拡散防止条約(NPT)再検討会議から約1週間。会議の終わりは「廃絶に向けた新たな始まりにすぎない」と、国連の「世界環境デー」に合わせ、いち早く市民による国際行動が展開された。呼び掛けたのは、オーストラリアなどに拠点を置く非政府組織(NGO)の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)だ。

 国連の潘基文(バン・キムン)事務総長も、世界の市民に向け賛同のビデオメッセージを寄せた。「今や潮流は変わりつつある。世界中で人々は核兵器を拒否している。…核兵器廃絶運動は、正しい歴史の側に立っている。この偉大な目的のために闘い続けよう」と。

 想像を絶する核戦争の惨禍を体験したヒロシマとナガサキは、一日も早い「核なき世界」の実現を65年間訴え続けてきた。再検討会議でも、両市の市長や被爆者代表は、国連の場でその思いを各国の政府代表らに精いっぱい訴えた。

 核軍縮に関する最終文書の素案には、その願いを反映したような画期的な内容が含まれていた。核廃絶に向けたロードマップ(行程)について、核保有国は2011年には話し合いを始め、2014年には作成して次回(2015年)の再検討会議に提出。核兵器禁止条約の交渉の検討。新型核兵器の開発と既存核兵器の改善停止。相互先制不使用の誓約に関する議論の開始。すべての核兵器を警戒態勢から取り外すことについての検討…。

 これらの素案は、世界の多くの非核兵器国やNGOの主張を取り入れたものでもあった。しかし、会議終盤に入ると、核保有国からの巻き返しがあり、拒否されたり著しく内容が薄められたりした。

 今回の再検討会議を通して、あらためて核保有国の「核兵器への執着」が露呈した。言葉では「核兵器なき世界」の実現に同意しながら、廃絶の期日を含め、軍縮促進に確実につながるさまざまな行動計画に対しては、国際社会による「縛り」を嫌った。

 核兵器をゼロにするのは、核保有国の責任である。だが、待っていてもそれは実現できない。捨てさせる有効な一つの手だてが、核兵器の持つ非人道性、違法性を強調する核兵器禁止条約だ。これならインド、パキスタン、イスラエルのNPT非加盟の核保有国にも適応できる。潘事務総長も強く支持する核兵器禁止条約の文言が、たとえ「交渉の検討」に「留意する」という弱い表現であれ初めて最終文書に記述されたことは、一つの成果といえよう。

 しかし、その達成には核保有国の市民、NGOを含む圧倒的な国際世論の結集が欠かせない。保有国の指導者たちは、進んで核兵器を手放そうとしないからだ。

 核廃絶に向け、これまで以上の反核世論をつくり出すにはどうすればいいのか。何よりも被爆国としての日本政府の責任は大きい。米国の「核の傘」に守られながら、核廃絶を訴えることの矛盾、説得力のなさは、すでに誰の目にも明らかである。現状の日米関係や東アジア情勢から、今それを持ち出すのは困難というのであれば、提起できるような安全保障環境を早く築くために、より努力をすべきだろう。

 良好な日米関係を維持することは大切である。だが、それはより一層の軍事力への依存によってもたらされるものであってはならない。経済・文化・人的交流などによって近隣諸国などとの信頼関係をはぐくみ、平和的共存の道を歩むことである。鳩山由紀夫前首相が提唱した「東アジア共同体」構想の方向性は、間違ってはいない。

 対立が続く南アジアや中東地域でも、日本の平和外交によって対立が緩和されるように仲介外交を積極的に進めるべきだろう。NGOや市民を含め、平和的手段で真摯(しんし)に国際貢献に取り組み、国際社会から尊敬されるようになれば、その国をだれが攻撃しようと思うだろうか。

 もう一つは、再検討会議の最終文書にもうたわれているように、「軍縮・不拡散教育」に力を入れることだ。

 果たして何人の国会議員が被爆地の広島や長崎を訪れ、原爆資料館を見学したり、被爆者の体験を聞いたりしたことがあるだろうか。次世代を担う日本のどれだけの若者や子どもたちが、原爆被害の実態や現在の核状況について知っているだろうか。外国の人々となれば、推して知るべしだろう。

 被爆者や両被爆地の行政と市民、県外を含めたNGO関係者らは、原爆展を開催するなど国内外での原爆被害の実態普及に努めてきた。音楽、絵画、演劇、映画…。さまざまな芸術分野でも取り組みがなされてきた。それでも原爆被害の全体像や、憎しみを超え和解を願うヒロシマ・ナガサキのメッセージが伝わる範囲はなお限られている。

 「体が動くうちに国内外で証言活動をしたい」「核保有国で原爆展と証言活動を展開したい」…。こんな思いを抱く被爆者や自治体、NGO関係者は決して少なくない。いずれも「資金があればもっと積極的に打って出ることができるのだが…」と活動資金の不足を嘆く声は大きい。

 軍縮・不拡散教育推進のために、政府・外務省は市民社会との連携の必要性を認識し始めている。核廃絶への取り組みで実績を積み上げてきた被爆者団体やさまざまなNGO、広島・長崎両市などと話し合って、実相普及のためのしっかりとした計画案があれば、政府予算でバックアップするなどの施策があってしかるべきだ。外交的配慮から政府が前面に出るのが難しいケースもあろう。こうしたときこそ、NGOや自治体ができることもある。

 市民運動からスタートした菅直人新首相なら、「市民の力」を活用することに異存はなかろう。核兵器廃絶という人類にとっての大きな目標を達成するために、被爆国日本が果たすべき役割は大きい。核兵器禁止条約の成立に向けた交渉開始の環境づくりも、本来、日本こそがイニシアチブを発揮すべきなのだ。潘事務総長をはじめ、大多数の非核兵器国、世界のNGOなどが推進しようとする核兵器禁止条約に対して「時期尚早」などと、日本政府が「抵抗勢力」になるようなことがあっては決してならない。

(2010年6月8日朝刊掲載)

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