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社説・コラム

日本被団協が「援護法」改正要求 国家補償求める声 再び

■記者 岡田浩平

 日本被団協が原爆被害に対する「国家補償」の実現に向け、運動の再強化を目指している。国の戦争によりもたらされた原爆被害を国の責任で償わせることが「再び被爆者をつくらない」道筋になるとの理念に基づく。今なお戦争被害の受忍を求める国の姿勢を転換させるには、ほかの戦争被害者や市民の共感を呼ぶ説得力ある訴えが欠かせない。

他の被害者の共感 不可欠

 現在の被爆者運動の根幹は、1984年に被団協がまとめた「原爆被害者の基本要求」だ。「核戦争起こすな、核兵器なくせ」と「原爆被害者援護法の即時制定」を2本柱に据える。1956年の被団協結成以来、運動を通じて練り上げてきた。

 この中で「国家補償の原爆被害者援護法」について「ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ原爆被害に対する国家補償を行うことを趣旨とする」と明記している。

■現行法は否定

 このため被爆者運動にかかわってきた人たちは、現在の被爆者援護策の根拠である被爆者援護法(1995年施行)をあえて「現行法」と呼ぶ。「現行法は国家補償の精神が盛り込まれていないどころか否定している。求めてきた法ではない」。被団協の田中熙巳(てるみ)事務局長(78)は言い切る。

 なぜ国は、半世紀を超える被爆者の訴えに対し、国家補償を否定するのか。1994年の衆院厚生委員会で厚相(当時)の井出正一氏は、国家補償が国の戦争責任に基づく補償を意味することになるとの認識を示し、「被爆者に対して国の戦争責任を認めるのであれば、一般戦災者との均衡上の問題が生じる」と答えた。

 国が戦争責任を認めない根底に「受忍論」もある。厚相の私的諮問機関、原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が1980年に出した意見では、放射線障害を伴う原爆被害について「一般の戦争被害に比べて際だった特殊性を持つ被害」としながらも、国の戦争による犠牲は「すべての国民がひとしく受忍しなければならない」と唱えた。

 1994年の援護法制定議論の中で当時の村山富市首相は、現行法がこの基本懇の考え方にそった法律だと明言した。今も厚労省は国家補償について「被爆者援護法制定時に議論は尽くされた」とし、一般戦災者との均衡論や受忍論を盾に否定する姿勢を崩していない。  こうした現行法制定に対し、被団協は当時も強く抗議する声明を出したものの、「法制定直後に改正させるのは難しいとの空気があった」と田中事務局長は振り返る。

■検討委を設置

 しかし2003年から取り組んだ原爆症認定集団訴訟は終結に向かい始め、国家補償を求める運動の原点に立ち返る環境が整ってきた。このため昨年から被団協内に現行法改正検討委員会をつくり、今回の8項目の改正要求案をまとめた。

 今月16日に東京都内のホテルであった被団協の定期総会。本年度の運動方針の中で、この改正要求案に約1時間を割いて討議した。  真っ先に発言した東京都の杉並区原爆被爆者の会の吉田一人さん(78)は「首相が国連で核兵器を廃絶すると言うだけでは空手形だ」と指摘。「原爆被害を国に償わせることが戦争被害受忍論を打ち破る。それは、これからの平和にとって被爆者が果たすべき使命だ」と訴えると拍手がわきおこった。

 しかし、現行法制定から15年の歳月が運動の再構築を迫る。総会では、なぜ国家補償を求めるのか学び直す必要性も指摘された。さらに被団協の地方組織内には、老いる被爆者として現実的に原爆症認定制度の見直しに重点を置くべきだ、との声がある現状も紹介された。

 とりまとめにあたった木戸季市事務局次長(70)は「要求案はあくまでたたき台。総会での議論を出発点にしてほしい」と求める。

■世界的追い風

 国家補償の実現へ追い風がなくもない。一つは核兵器のない世界を目指す世界的な機運だ。国家補償の援護法を制定することは、核兵器被害を繰り返してはならないと誓うことであり、核兵器を否定する理念にほかならない。それは被爆国政府に、米国の「核の傘」からの離脱を促す考えにも通じる。

 東京大空襲などほかの戦争被害者の運動の広がりもある。日本被団協の坪井直代表委員(85)は「国家補償は戦争被害者みんなが一緒になって取り組む課題だ」と言う。

 「基本要求」は、核戦争被害を受忍させてはならないと被爆者が体験を通じて訴え続けてきたことを記し、被爆者が求めるのは原爆被害に対する「国の償い」と繰り返し明記している。その訴えの集大成へ、残された時間は多くない。


<被爆者援護法の改正要求案(骨子)>

●現行法の前文を改正し、原爆被害に対する国家補償の趣旨、核兵器廃絶の決意を明記
●原爆死没者の遺族に弔慰金か特別給付金を支給
●被爆者全員に被爆者手当を支給
●原爆症の対象の病気を政令で定め、認定者には医療給付と手当加算をする。政令にない病気は
 審議会の議論を経て厚労相が認定
●被爆2世、3世の実態調査をし、希望者へ手帳発行、一定の病気への医療費の支給
●在外被爆者への法の完全適用
●被爆者健康手帳の交付要件の見直し

※日本被団協現行法改正検討委員会まとめ


九州大大学院 直野章子准教授に聞く

■記者 岡田浩平

 原爆被害に対する国家補償を求める意味や運動の方向性について、被爆者運動に詳しい九州大大学院の直野章子准教授(38)に聞いた。

枠組み超えた「償い」模索を

 被爆者が自らの体験を訴えるだけでも大変なこと。その上で「再び被爆者をつくるな」という思想で50年以上、運動を続けている。被爆者は自分たちがやってきた運動にもっと誇りを持ってほしい。

 被爆者運動は実現できる、できないでやってきたわけではない。自らの体験に根ざしつつ、戦争により生じた原爆被害について、戦争遂行の主体である国家に償いを求めてきた。それは法的な国家補償の定義を超えた要求だ。

 8月6日に何が起きたかだけでなく、被爆者はその後、どう生きてきたか。それを語れば説得力は増す。国家補償を考えるとき、そうした視点が重要だ。現行法は基本懇の意見に沿い、原爆被害を放射線被害という一部でしかとらえていない。現行法にこだわると被害の全容が見えなくなる。

 現行法が国家補償を否定する思想、枠組みである以上、前文を多少変えたところで償いの精神へと変わるだろうか。今回の日本被団協の検討委員会がまとめた改正要求案はたたき台とし、さらに議論を深めてほしい。

 被爆者の運動はこれまで国の償いと現行施策の改善要求の2本立てでやってきた。償いがお金である必要はない。政府に戦争遂行の主体として原爆被害をきちんと謝罪させた上で「ふたたび被爆者をつくらない」「非核三原則を法制化する」「憲法9条を守る」などと誓わせることも考えるべきだ。

 ほかの戦争被害者、市民にも受け入れやすいだろう。被爆者の闘いは被爆者に関係することに特化してきたわけではない。私たちの未来を切り開くためのものだ。


<「原爆被害に対する国家補償」をめぐる主な動き>

1956・ 8 日本被団協が長崎で発足
1957・ 4 被爆者の無料健康診断などを定めた原爆医療法施行
1966・10 被団協が「原爆被害の特質と被爆者援護法の要求」(つるパンフ)を発表
1968・ 9 健康管理手当などを盛り込んだ被爆者特別措置法施行
1973・ 4 被団協が「原爆被害者援護法案のための要求骨子」発表
1980・12 原爆被爆者対策基本問題懇談会が意見書発表
1984・11 被団協が「原爆被害者の基本要求」策定
1994・12 自民、社会党などの連立政権で被爆者援護法成立
1995・ 7 被爆者援護法施行
2003・ 4 原爆症認定集団訴訟が始まる

(2010年6月21日朝刊掲載)

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