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社説・コラム

コラム 視点「世界へ発信 『平和宣言』に込められた被爆地の『良心の声』」

■センター長 田城 明

 第2次世界大戦中、世界中で犠牲になった人たちの数は、兵士と民間人を合わせて約5千万人。特にナチス・ドイツと戦ったソ連や、ホロコーストの主要な舞台となったポーランドなど欧州地域、日本の占領支配を受けた中国などアジア地域で多くの死者が出た。

 日本人の犠牲者数も300万人を超える。うち原爆投下による広島・長崎の死者数は、1945年末までに合わせて20数万人とされる。沖縄の地上戦では、日米両軍兵士と住民を合わせて23万人以上が命を落とし、東京大空襲でも10万人を超す人々が犠牲となった。

 もとより、原爆で殺されるのも銃剣で殺されるのも、一人の命の重み、尊さに違いはない。その事実を承知した上でなお、広島・長崎への原爆投下が「20世紀最大の出来事」(米メディア博物館)として多くの人々の記憶に残り、人類史的意義を有するのはなぜか。

 それは核兵器が持つ巨大な破壊力と深くかかわっているのだ。原子爆弾の出現は、戦争を繰り返してきた人類の歴史に大きな警告を与えた。原爆の威力を知る科学者は、その意味を即座に理解し、実際に体験した被爆者も、同じことを体で感じ取った。

 フランクリン・ルーズベルト米大統領に原爆開発を進言する手紙を出した物理学者のアルバート・アインシュタイン博士は、1946年にこう警告を発した。

 「解き放たれた原子の力はすべてを変えてしまったが、唯一変わらないのはわれわれの考え方である。それゆえ、われわれは未曾有の破滅的状況へと流されていく。もし人類が生き残ろうとするならば、われわれはまったく新しい考え方を身につける必要がある」

   原爆の廃虚から復興への道を懸命に歩み始めた1947年8月6日。自らも被爆者の浜井信三広島市長は、第1回平和祭で初の「平和宣言」を国内外に向けて発した。

   「世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして壊滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。(略)この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる『思想革命』を招来せしめた」

 アインシュタイン博士がいう「新しい考え方」と浜井市長のいう「思想革命」は、言葉こそ違え、同じことを指摘しているのだ。人々が従来通り、武力を背景に自国の覇権や利益を求め続ければ、やがては人類の破滅に至るとの警告である。

 広島ではこの年から、朝鮮戦争が起きて式典が開けなかった1950年と、「市長あいさつ」に代えた翌年を除き、毎年、歴代市長によって平和宣言が発せられてきた。浜井市長から現在の秋葉忠利市長まで、7人の市長が昨年までに61回の平和宣言を読み上げてきた。

 宣言の内容は、時代状況と各市長の考え方を反映して、それぞれ違ってはいる。しかし、宣言の底流を貫いているのは、いつの時代も戦争否定であり、核兵器の廃絶、世界の恒久平和実現、日本の平和憲法擁護、核抑止力否定という被爆地からの熱いメッセージである。核兵器に依存する安全保障を求め続ける限り、人類滅亡の可能性は避けられないとの警鐘を鳴らし続けてきた。

 ヒロシマ、そして1948年から平和宣言を続けるナガサキは、国家や民族、宗教などの違いを越え、常に世界や人類全体と向き合ってきた。1974年の山田節男広島市長の平和宣言の言葉を借りれば「われわれ人類は、一つの世界に生きる運命共同体であることを深く理解し、世界市民意識にもとづく地球共同社会の創造に邁進(まいしん)しなければならない」との精神である。人類が生き延びるために何をすべきか、平和宣言は被爆地からの「良心の声」として、象徴的な役割を果たしてきた。

 日本政府に対しても、さまざまな要望を突き付けてきた。その一つが、国際社会で核兵器廃絶のイニシアチブを取るべきであるというもの。さらに、国家補償に基づく被爆者援護、非核三原則の法制化、「核の傘」からの脱却、戦争・原爆体験に根ざした平和教育の充実、日本の植民地・占領支配で被害を受けたアジア・太平洋地域の人々への謝罪、「黒い雨」地域の拡大認定―などだ。

 国内でさえ被爆地の願いと政府の政策の間には、ギャップがある。ましてや国際社会、特に米ロなど核保有国や核を持とうとする潜在核保有国との間の溝は深い。「人類と核兵器は共存できない」「核兵器は国際法に違反する非人道兵器である」。原爆の惨禍を体験した被爆地からすればごく当たり前のアピールでも、核保有国の指導者らは真っ正面からそれを受け止めようとしない。

 5月にあった核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、「核兵器のいかなる使用も人道上、破滅的な結果をもたらすことを憂慮する」「核兵器禁止条約に関する交渉提案に留意する」との文言が最終文書に残った。多くの非核保有国や非政府組織(NGO)、被爆者らからすれば随分と薄められた内容になってしまった。しかし、これらの決議内容を生かすことで、核兵器は国際法に違反した使えない兵器であるとの規範を国際社会に一層広め、一日も早い廃絶への道を切り開かなければならない。

 今年の平和宣言には、これらの要素を生かしつつ、核廃絶に積極的に取り組む非核保有国、世界のNGO、被爆者、市民らの力を結集して核保有国や潜在核保有国に迫っていくための文言をぜひ盛り込んでもらいたい。経済優先で、NPT未加盟の核保有国であるインドとの原子力協定を結ぼうとする政府に対しても、明確に反対の声を上げる必要があるだろう。

 日本が米国の「核の傘」の下にあるだけで、国際社会でのヒロシマ・ナガサキの訴えは弱まる。このうえ、NPT未加盟のインドと原子力協定を結べば、被爆国としての「道義的責任」は口先だけのものになり、パキスタン、イランをはじめ多くの国の信頼を失うだろう。それは被爆地をはじめ、核廃絶を求めて活動する日本のすべてのNGO、被爆者、市民にとって大きなマイナスとなる。

 今年の広島の平和記念式典には、国連事務総長として初めて、核廃絶への取り組みに熱心な潘基文(バン・キムン)氏が参列する。潘氏ら式典に参列する内外の要人や市民、そして世界の人々の琴線に触れる内容を平和宣言に盛り込み、核時代の原点ヒロシマから、国際社会に核廃絶をアピールしたいものである。

(2010年7月19日朝刊掲載)

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