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社説・コラム

特別寄稿: 核兵器・戦争をなくし、平和を選ぼう

■メイリード・マグアイア氏 ノーベル平和賞受賞者(北アイルランド)

マグアイア氏プロフィル

 1944年1月、北アイルランド・ベルファスト生まれ。非暴力で母国の紛争解決を訴える。1976年、共に行動した同国のベティ・ウィリアムズ氏と共にノーベル平和賞受賞。世界の平和、非暴力につくす「ピース・ピープル」(www.peacepeople.com)を同氏と共同設立。現在もパレスチナ問題の解決に向けて活動を続けている。

核兵器・戦争をなくし、平和を選ぼう

 2008年に私は、被爆地広島・長崎を訪問した。両市とも大変美しく、1945年8月の原爆投下で廃虚と化しながら、そこから復興を果たした事実は驚くばかりである。それは人間の精神の強さを示すものである。広島と長崎は、想像を絶する苦しみにもかかわらず、過去にとどまることなく、暮らしを再建した。私は日本の人々が、戦争で味わった苦しみを糧に、人類の一員として、寛容や友愛、共存という考え方に立って世界が築かれるよう、建設的に乗り越えていった働きに勇気を与えられた。

 戦争も核兵器も否定する日本の憲法は、世界中の多くの人々から高い評価を受け、賞賛されている。というのも、憲法第9条こそ、世界のすべての政府がそれぞれの憲法に取り込むべき模範であるとみなしているからだ。平和憲法が各国に浸透すれば、人類は軍事力や戦争によってではなく、人権と国際法に基づき、対話と交渉によって対立を解決できるようになるだろう。

 戦後65年間、日本人は、核兵器廃絶と戦争反対の努力を続けてきた。彼らの能力や金を膨大な軍国力に費やす代わりに、社会面などの整備に充て、市民の生活向上を図ってきた。日本の都市を訪ね、きれいな病院や学校、優れた鉄道システムなどに接するとき、日本はドイツと同じように、軍事国家や戦争準備のためではなく、民生により投資していることが分かった。私と同じときに来日していたある米上院議員は、「米国も膨大な軍事費や戦争のためではなく、民生のために投資すべきである」と話した。彼はまた、「自分たちの国力と資源を、国際的な協力や平和的紛争解決のために役立てるべきだ」とも言った。

 今も米国とロシアは、世界の核兵器の90パーセント以上を保有している。だが、多くの国民が驚くべき貧困状態にあるなど膨大な社会問題を抱えている。これらの国々の軍事予算のほんのわずかでも民生のために配分するなら、世界規模での貧困を和らげるのに役立つだろう。

 悲劇的なことは、人類の本当の敵である戦争、軍国主義、貧困、地球温暖化、疾病、教育の欠如を解決するための「意志」ができておらず、「人間の安全保障」を築くに至っていないことである。

 この軍事的安全保障(実際は不安定で危険な保障)から人間の安全保障へと転換する「意志」は、市民社会によってつくり出すことができる。これは既に起こりつつあるが、私たち地球市民がそのための努力を一層強める必要がある。そうすることで、世界中の人々からなる巨大な「市民超大国」が、非暴力で私たちのすべての政府に対して、公平、平等、軍縮のための政策を要求することができるだろう。

 2009年4月、オバマ米大統領はプラハでの演説で「核兵器を使用した唯一の国として、米国は行動する道義的責任がある」と述べ、さらに「核兵器のない世界を目指して具体的な方策を取る」と明言した。私たちすべてが核兵器が世界からなくなることを望んでいる。米ロをはじめ核拡散防止条約(NPT)に加盟するすべての政府が条約を順守してほしい。

 核兵器禁止条約はそのための重要なステップである。中東地域に非核兵器地帯をつくる必要があり、イスラエルはNPTに署名することで、それを主導することができる。NPT加盟国のイランもまた、条約を守ることで、中東地域の非大量破壊兵器地帯設置への動きの一部となるべきである。第2次大戦後にやがて欧州連合が設立されたように、武装を解き、経済的に結合した中東が誕生すれば、世界に大きな希望をもたらすだろう。

 英国はNPTが課す軍縮義務を果たすべきであり、5年間で1千億ポンド(約14兆円)も要するトライデント型原子力潜水艦の更新をすべきではない。

 殺し合いのない、核兵器も戦争もない世界の実現は可能である。もし私たちが現実の世界に存在する多様性や異質性を喜んで受け入れ、過去にあった分裂や誤解を癒やすことができるなら、もし私たちが互いに許しを与え、受け入れることができるなら、私たちはより人間的で、思いやりのある人になれるであろう。それは神が私たちを創造した、あるべき姿に近づいているのである。

 私たちは互いに殺し合うために、生存している他の人々を燃やし尽くす大量破壊兵器を造るために、米国ネバダ州にあるコンピューター操作でアフガニスタンの村々に爆弾を投下するプレデター無人偵察機を製造するために創(つく)られたのではない。創造主はまた、人々を吹き飛ばし破壊する自爆攻撃を、私たちにすることを望んではいない。

 神は、一人一人が美しくある私たちに、このような野蛮な手段による行動を取らせるために私たちを創造したのではない。互いに愛するために創られたのだ。その愛は人間に対してだけでなく、神が創造したすべての生き物に対する愛である。

   あまりにも長い間、私たちは他者を殺すことができるのだという誤った固定観念によって、私たちの堕落した人間性を許してきた。そのことが政府や軍部の手助けをし、国家主義や戦争を賛美してきたのだ。そして今なお狂気じみた世界が続いているのである。

 しかし、私たちの固定観念を変え、「互いに愛し、殺すなかれ」という倫理観に基づいて生き始めることに遅すぎるということはない。どのような信仰の伝統も、「他人にしてもらいたいと思うことを、あなたも相手にしなさい」という同じ倫理観を共有している。このような信仰の伝統は、私たちに黄金律を思い出させることによって、殺してはならないという文化をはぐくむのに大きな役割を果たすことができる。

 8月6日と9日、私たちは広島と長崎に投下された原爆によって亡くなった犠牲者を思い起こし、冥福を祈ることができる。しかし、私たちが多くの原爆犠牲者や、原爆によって多大な苦しみを体験した被爆者たちにできることは、すべての暴力、武力紛争、核戦争を終わらせるために働き続けることである。イスラエルによるガザの包囲を解き、パレスチナの不法占拠を終わらせ、アフガニスタンなどでの戦争を終結させることだ。

   私たちが過去の固定観念を解き放ち、人を殺さないという非暴力社会を築きながら平和を選び、愛と寛容の精神をもって行動するならば、地上から核兵器をなくし、戦争を終わらせることができる。

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