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社説・コラム

被爆65年式典 確かな希望 なお焦燥感

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 江種則貴

 核兵器のない世界が現実となった時、「2010年8月6日」は歴史の区切り点として思い起こされるに違いない。広島に原爆を投下した当の米国政府の代表が初めて、その犠牲者を悼み、核兵器廃絶と世界平和を祈る広島市の式典に参列した。終始無言だったとはいえ、参列したこと自体の意味は重い。

 市民対象の講演会などで核兵器廃絶の必然性を熱く語った潘基文国連事務総長、被爆者との懇談などを通じて政権の独自色アピールに腐心した菅直人首相。それぞれ平和記念式典でもあいさつした2人に比べると、米国のジョン・ルース駐日大使の発言は聞こえてこなかった。ほぼ無表情のまま式典会場のパイプいすに座り、終了後は感想を漏らすこともなく、すぐに広島を離れた。

 その無言ぶりが、あの日から65年たっても変わらない米国社会の現状を雄弁に物語る。

 原爆投下機の乗組員の遺族が早速、ルース大使の式典参列に強い不快感を示したように、原爆投下は戦争を早期に終結させ、多くの米兵の命を救ったとの正当化論が依然、米国社会では根強い。それは「二度と過ちを繰り返してはならない」として原爆を否定する被爆地の訴えとは根本的に相いれない。その溝が大使から、言葉を奪った。

 その姿に、あの日からの歳月を痛感する。原爆投下国の政府代表と被爆者との率直な対話はなぜ今も実現しないのか。原爆の威力ではなく、きのこ雲の下であった人間的悲惨はこの世界に、原爆投下国に、十分に伝わっているのか。

 この日、菅首相が提唱した「非核特使」構想も、被爆者の声を世界に届けようとする観点では共感できる。だが菅首相は「核抑止」を肯定する発言もした。平均年齢が77歳近くの被爆者に海外渡航を強いるより、被爆国政府として核兵器廃絶に向け、もっと主体的で意欲的な取り組みはないのか。秋葉忠利広島市長が平和宣言で求めた「核の傘」からの離脱を、被爆国こそ率先して真剣に検討すべき時期ではないのか。

 65年もの歳月。米国代表の式典参列や潘事務総長の核兵器廃絶への使命感に触れ、「やっとここまで来た」との感は強まる。それは瞬時に「急がなければ」との焦燥感に変わる。

(2010年8月7日朝刊掲載)

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