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社説・コラム

コラム 視点 「被爆地市民が協力し証言集を発刊、被爆体験の普遍化に貢献」

■センター長 田城 明

 被爆証言集というと、広島・長崎両市に原爆が投下された日を中心にした個々の被爆者の体験がつづられていると誰もが想像するだろう。

   だが「長崎の証言の会」が1969年から独自に、また、「広島の証言の会」が1982年から5年余、長崎の会と共同で年4回発行した証言集は趣がかなり違う。被爆体験を中心に据えた原爆・平和・核問題の「総合誌」と形容した方が適切であろうか…。

 例えば、共同発行創刊号の「ヒロシマ・ナガサキの証言’82冬号」。128ページのうち、「証言」コーナーは約20ページと、全体の6分の1程度である。主要部分は、「ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動」「連帯するヒロシマ・ナガサキ」と題した二つの特集からなり、ほぼ60ページを割いている。前者の特集には、「反核運動の現状―西欧と日本」「国際的な軍縮教育の動向とその視点」、後者には「長崎のカトリックと原爆問題」「核戦争に対して医師は何をすべきか」など、学者や教育者、被爆者、医師らの論考が並ぶ。このほか「文芸」コーナーでは、短歌や詩、小説、「『原爆詩』この一年」といった評論も取り上げられている。

 「この冊子が世界を動かす原動力となることを願ってやまない」。巻頭言を寄せた広島県立女子大学長(当時)の今堀誠二さんの言葉が、刊行にかかわった関係者の意気込みを象徴する。

 広島原爆資料館長(当時)の高橋昭博さんは、創刊号に被爆者としての自らの決意をこうつづる。「運命を共にした広島と長崎―被爆者という名の人間同士は、かたくななイデオロギーを排し、互いに、心に平和の砦(とりで)を築き、アメリカに対する憎しみを超え、被爆の苦しみや悲しみを乗り超えて、核兵器全廃と全面軍縮への道程が、たとえ遠くとも、また険しくとも、息長く、一層声を大にして訴え、行動し続けようではないか」と。

  各号に貫かれている編集姿勢は、日本の戦争責任や原爆投下をめぐる日米の意識ギャップ、世界の放射線被害者らを視座に入れながら、被爆体験の持つ意味を普遍化、思想化することであった。それはまた、被爆地から日本、そして世界の人々へ非戦と核廃絶の精神を伝え、その輪を広めていく運動でもあった。

 当時、広島側から積極的にかかわった人たちは、全国被爆教職員の会会長の石田明さん、詩人の栗原貞子さん、広島女学院大教授の庄野直美さんら約30人。ケースワーカーやジャーナリストも編集委員に加わった。手弁当で雑誌を発刊し続けることがどれほど時間と労力を要したことか。内容の濃さと併せ、あらためてその努力に頭が下がる。

 あれから四半世紀。今では広島、長崎ともに活躍した人たちの多くが逝った。残念ながら「広島の証言の会」は解散したが、両市民の協力で紡いだ私たちへのメッセージは、21冊の証言集に凝縮されている。

 平和市長会議など行政レベルで両被爆地の連携は続く。だが、1980年代と比べ市民レベルでの協力関係が薄れているのは否めない。雑誌の発行という同じ形でなくていい。若者たちも取り込んだ市民交流の機会を増やすことで、ヒロシマ・ナガサキの発信力を一層強めたいものである。

(2010年10月4日朝刊掲載)

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