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社説・コラム

原爆小頭症 広島市に相談員配置へ ケア 全国に届くか

■記者 増田咲子

 母親の胎内で被爆した原爆小頭症患者は現在、64歳。老いに直面し始めた患者への支援強化策として、国は来年度から専任の相談員1人を広島市に配置する方針を打ち出した。患者や家族、支援者でつくる「きのこ会」からの切実な要望に部分的に応えた形だ。ただ国は現段階で、相談員配置の事業主体を広島市と位置付け、国としては人件費の補助にとどめる考えを示している。その場合、広島市外で暮らす患者にも、等しく、きめ細かいケアが届くだろうか。

老いる患者

病状複雑 生活も多様 専門職のサポート不可欠

 きのこ会は7月下旬、原爆小頭症患者の支援に当たる医療ソーシャルワーカーの配置を国に働きかけるよう、広島県と広島市に要望した。

 背景には、間もなく65歳になる患者の「老い」と、サポート役の「変化」がある。

 きのこ会メンバーの患者18人のうち、今年3人が親を亡くした。兵庫大の村上須賀子教授は「患者本人の病気は年齢とともに複雑化する。一方、親からきょうだいへと支える家族が代わる際に、患者のサポートがスムーズに移行しない場合がある」と指摘する。

 さらに患者の生活や障害の状況は一様ではない。結婚している人もいれば、施設で暮らす人もいる。健康管理だけでなく、通院や買い物など日常生活の面でも、患者の状況に応じた身近なサポートが欠かせない。ある患者は徘徊(はいかい)などを周囲が24時間体制で見守らなければならない時期があった。

 さらに家族は差別や偏見を恐れ、地域社会とのつながりが薄く、孤立しがちな傾向もあるという。

 村上教授は「医療や福祉のサービスは複雑で、専門職によるサポートがなければ患者は利用しにくい。そうした専門知識と経験の豊富な医療ソーシャルワーカーは、患者の生活全般に目配りすることができる」と重要性を説明する。

 こうした状況を踏まえ、厚生労働省は8月に発表した2011年度予算案の概算要求に、小頭症患者専任の相談員の人件費として約300万円を盛り込んだ。具体的には、最も患者が多い広島市が、医療ソーシャルワーカー1人を配置し、その人件費の半額を国が市に補助する方針。年内に詳細を詰めるという。

 だが、福祉や医療の施策や制度は自治体によって異なる部分があり、広島市原爆被害対策部援護課は、1人のワーカーが全国の患者に対応する難しさを指摘。「国と協議したい」とする。  全国に散らばる患者に等しく十分なケアが届くかどうか。きのこ会は8月末に厚労省を訪れ、国の責任でのワーカー配置を訴えた。会の平尾直政事務局長(47)は「患者は戦争の被害者。その意味からも、国の責任で対応すべきだ」と説く。

 さらに会は国に対し、広島市以外で暮らす患者支援のため、長崎や東京などへ連絡窓口を設置するとの提案もした。

 村上教授は「小頭症患者のためのワーカー配置が突破口となり、高齢化が進むすべての被爆者の生活相談が充実するよう期待したい」と話している。


大阪の女性

募る苦悩 訴える場なく 地元行政など「理解乏しい」

 大阪府内で暮らす原爆小頭症患者の女性(64)は、この5年間に4回の入退院を繰り返した。生まれたときから股(こ)関節脱臼に悩み、59歳の冬、歩行困難を解消する金具を装着する手術をした。その際の感染症の治療が長引いている。

 1回入院すれば半年ほどかかる。今回も2月に入院し、8月中旬に退院したばかり。

 広島市の2人が9月末、女性を見舞うため府内の通院先を訪ねた。きのこ会の長岡義夫会長(61)=安佐南区=と、会を支える医療ソーシャルワーカーで兵庫大の村上須賀子教授(65)=東区。

 兄が小頭症患者の長岡会長は、会として国に医療ソーシャルワーカーの配置を要望した経緯を説明し、「ワーカーが全国の患者をケアできれば、みんな楽になる。もうひと頑張りだ」と励ました。村上教授も「広島から遠く離れた人たちに十分な支援をどうやって届けるか、一緒に考えていきましょう」と声を掛けた。

 女性は爆心地から1.2キロの田中町(現広島市中区)で、母親の胎内で被爆した。22歳で大阪に出て、現在は夫と娘と3人で支え合って暮らす。娘は自閉症、夫も肝硬変が悪化しているという。「広島から離れた大阪では、行政などに何か相談しようと思っても、小頭症のことを理解してくれていない。だから相談しにくい」

 度重なる入院で出費がかさみ、家族に迷惑を掛けるのが心苦しい。家計は厳しく、娘の将来も気にかかる。そうした不安を一人では抱えきれず、自殺を考えたこともあったと打ち明けた。「相談に乗ってくれる人がいたら夢みたい」と期待を膨らませる。


《原爆小頭症患者をめぐる動き》

1945年 8月 広島、長崎に原爆投下
1952年    原爆傷害調査委員会(ABCC)の医師が小頭児の存在を米国の小児科学会誌
          に発表
1957年    小頭症の畠中百合子さんが記録映画「世界は恐怖する」に登場
1959年 8月 畠中百合子さんの親が第5回原水爆禁止世界大会で救済を訴える
1965年 6月 作家山代巴さん(故人)やジャーナリストたちの「広島研究の会」が原爆小頭症患
          者や親たちに呼び掛け、「きのこ会」を発足
       7月 岩波新書「この世界の片隅で」刊行。広島研究の会によるルポで、放置された患者
          の存在を世に問うた
1966年 2月 きのこ会が小頭症を原爆医療法の認定疾病に加えるよう厚生省(当時)に陳情
       6月 厚生省の小頭症調査研究班が発足
1967年 8月 厚生省が「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆医療法の認定疾病に加える
       9月 患者6人が認定第1号に。その後、順次認定される
1976年 3月 厚生省が3年ごとの小頭症認定更新をやめることを決定。終身認定に
2004年12月 厚生労働省が長崎県内に住む女性を新たに患者と認定
2010年 7月 きのこ会が広島県と広島市に、患者専任の医療ソーシャルワーカーを国の責任で
          配置するよう働きかけを要望
       8月 菅直人首相が広島市の平和記念式典で胎内被爆者の支援強化を表明


原爆小頭症
妊娠初期の胎児が爆心地近くで強い放射線を浴びた場合、頭囲が小さく、知的・身体障害を伴う小頭症として生まれることがある。厚生労働省によると、患者は現在、全国で22人。都道府県別では広島13人(うち広島市10人)、長崎3人(うち長崎市2人)、大阪2人、山口、東京、神奈川、福岡が各1人。

(2010年10月18日朝刊掲載)

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