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社説・コラム

コラム 視点 「原爆小頭症患者 核兵器の非人道性を無言で告発」

■センター長 田城明

   「この子たちは20歳までは生きられないだろう」。かつてABCC(原爆傷害調査委員会、現RERF=放射線影響研究所)の米国人医師から親たちにこう伝えられたという原爆小頭症患者は、60代半ばに達した。

 胎内での被爆がもとで知的・身体的障害を伴って生を受けた患者たち。心ない偏見や差別を受けながら小頭症のわが子を支え、ともに歩んできた両親や家族らの言いしれぬ労苦。患者たちの存在が広く知られるようになるまで20年の歳月を要した。

 原爆によるさまざまな被害実態に迫った「この世界の片隅で」(岩波新書・1965年刊)で、地元の放送記者が少ない情報を手掛かりに、小頭症患者の家を訪ねるなどしてまとめた1編がそれである。

 「ABCCの小児科の医者が『原爆のせいではない。すべて栄養失調によるもので、お気の毒とは思うが親子の背負わなければならない十字架だと思って、子供さんには優しくしてあげなさい』と、暗に引導を渡されました」(同書)

 この母親は、原爆のせいではないと言われながら、後にABCCから被爆児童に知能低下がみられるようなので学校の成績表を見たい。ついては親の印鑑がいるから書類に判を押してほしいと迫られたときの怒りを放送記者にこうも打ち明けている。

 「『原爆のせいじゃないといっておきながら、ぬけぬけとなにをいうのです。たとえ比治山(ABCCのある場所)の下で親子のたれ死にしてもあんたたちのお世話になるもんですか』といって、とうとう追い返してやりました」(同書)

 米国人の専門家に診てもらえば、きっと治療法が分かるのではないか。わらをもつかむ気持ちでABCCの調査に協力しながら、治療は一切してもらえない。まるでモルモットのように扱われた当時のABCCに対して、多くの小頭症患者や親たちは一様に強い反発を抱いていた。

 だが、自分たち家族以外に同じ境遇にある人たちがいることを知らない親たちは、そんな不満を共有することもなく、どこに訴えていいかも分からなかった。米軍岩国基地近くに住む患者の父親は、生活苦の中で「この子の行末が心配です」と、思いあまって1964年に基地司令官に嘆願書まで送って財政支援を求めた。

 患者家族は孤立し、被爆が原因であることすら知らされていなかった。しかし、放送記者のこの追跡調査が契機となって、本が出版される約1カ月前に「きのこ会」が誕生した。患者9人とその家族、広島のジャーナリストや作家らが会を支えた。

 発足時の会の目標は三つ。(1)胎内被爆小頭症が原爆被爆に起因することを国に認めさせる(2)原爆小頭症患者の生活の終身保障(3)核兵器の完全廃棄―である。きのこ会の親たちを中心に小頭症を原爆医療法の認定疾病に加えるように政府に働きかけ、2年後の1967年にようやく実現した。病名は「近距離早期胎内被爆症候群」というものだが、治療法があるわけではなかった。

 患者の親たちや家族、支える人々の献身的な取り組みで幾多の試練を乗り越えて来たきのこ会。その会も今年6月に発足から45年を迎えた。会に加わる患者は現在18人。「小頭症のわが子より1日でも長く生きたい」。こう願い続けた親たちも次々と亡くなる中で、既存の経済的支援に加え、身の回りの世話や相談ができる終身保障の切実さは増すばかり。核兵器廃絶に至ってはまだ先が見えない。

 先日も米国が臨界前核実験を実施した。核兵器の存続や、さまざまな核技術を継承・発展させるための実験である。その行為は、「核兵器なき世界を目指す」と誓ったバラク・オバマ大統領の約束に反してはいないか。

 果たしてオバマ大統領や、他の核保有国の政治指導者らに原爆小頭症患者はどのように映るのだろうか。原爆被害を深く意識することもままならない小頭症患者の存在は、核兵器の非人道性を無言で訴えている。

(2010年10月18日朝刊掲載)

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