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社説・コラム

コラム 視点『米英軍の劣化ウラン弾使用 イラク戦争後一層増えるがん患者』

■センター長 田城 明

 「バスラ市民はみなヒバクシャです」。イラク南部最大の都市バスラの病院で、長年がん患者の治療に当たるジャワッド・アル・アリさん(66)は20日、国際電話の向こうで穏やかに言った。

   「筋肉痛や頭痛、知覚障害、倦怠感(けんたいかん)など説明しがたい症状を訴える患者が増える一方で、女性たちはがんフォービア(恐怖症)になっていると言っても過言ではない」

 1991年、米英両軍が放射能兵器である劣化ウラン弾を実戦で初めて使用した湾岸戦争から今年で20年。再び大量の劣化ウラン弾が使われた2003年のイラク戦争から間もなく8年を迎える。短期間で戦争が終結した湾岸戦争では、イラク軍が占領していたクウェートと、バスラ周辺などイラク南部で使用された。

 私が劣化ウラン弾による健康被害を取材するためにバスラを訪ねたのは2000年。アリさんにがん患者専用の腫瘍病棟を案内されながら説明を受けた。当時もバスラでは、白血病や乳がん、悪性リンパ腫などがん患者は、湾岸戦争前に比べ顕著な増加がみられた。また、同市内の小児・産科病院では、増える子どもたちのがん患者に対応するために腫瘍病棟を設置。幼児を含め、多くの子どもたちが白血病などのがん治療のために入院していた。

 劣化ウランは、主としてアルファ線を放出する放射性物質であるだけでなく、強い毒性を持つ金属物質でもある。このため、両方の複合的な影響とみられる先天性障害をもって生まれる赤ちゃんの数も目立った。

 「2003年のイラク戦争では、英軍がバスラ市内を劣化ウラン弾で攻撃した。その量は100トンとも言われている。破壊された戦車や車両は市内から運び出されたが、汚染された土壌はそのまま。市民は空気やちりと一緒に、ウラン微粒子を常に体内に吸入しているようなものだ」

 バスラ市の人口は、この10年で2倍以上の約250万人に膨らんだ。人口の急激な変化などでがんについての疫学的調査は容易ではない。しかし、市内の主要医療機関やアリさんら専門医らの協力で調査が続けられており、がん発症者数は年々増えているという。特に女性の乳がん患者は、イラク戦争前の3―4倍に達しているとも。

 「女性たちががんに過敏になるのも分かってもらえるだろうか…」とアリさん。「医薬品や医療器具もまだ不十分。でも、医師としてベストを尽くすほかない」

 サダム・フセイン政権が倒れ、言論の自由が確保された。生活水準も向上しつつあることを、アリさんは素直に喜ぶ。しかし、劣化ウランで汚染された大地の影響はこれからも続く。「原爆のさく裂で大量の放射線を一度に浴びた広島や長崎の被爆者と被曝(ひばく)の形態は違うが、戦争後も長く放射線の影響を受けているのは私たちも同じ。この現実を日本のみなさんにも知ってもらいたい」。切実なアリさんの訴えにどう応えるか、被爆地広島の行政や市民の役割も問われている気がした。

(2011年2月21日朝刊掲載)

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