×

社説・コラム

コラム 視点「ノーベル賞科学者貫く戦争否定の強い信念」

■センター長 田城 明

 3人の孫たちを愛し、愛される好々爺(や)―。先月末、京都産業大学の研究室で初めて会ったノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さん(71) の第一印象である。どこかにまだ子ども心を残したような飾り気のない人柄と温かさが、理論物理学の世界の大家という肩書がもついかめしさを、和らげてくれているのかもしれない。

 名古屋大学大学院で理論物理学を学ぶきっかけとなった恩師の坂田昌一博士(1911~1970年)。坂田研究室では、「いちゃもんの益川」というあだ名を付けられるほど、議論好きで通っていた。分からないところや疑問に思ったところは、先輩であっても遠慮なく議論をふっかけた。「煙たがられるときもあったよ。でも、坂田先生はその自由な雰囲気を一番大切にされた」と、懐かしそうに振り返る。

 科学者として社会的な問題に関心を持つように教えられたのも坂田さんからだ。1970年に京都大学へ転任。宇宙が存在する根源の粒子の謎を理論的に解き明かそうと日夜思索を重ねていたときも、京大教職員組合の役員を務め続けた。

 「午前中は研究、午後は組合活動。夜は夕食を挟んで妻や子どもとしばらく過ごして、9時ごろから深夜まで再び研究に充てる。いろんなことがはまっている方が能率が上がるものです」。こともなげにこう話せるのは、並外れた独創性や頭の回転の速さだけでなく、生活者としての感覚を常に持ち合わせているからだろう。

 そんな生活者としての視点は、戦争・平和観にも表れている。「アインシュタイン博士をはじめ、内外の理論物理学の優れた先輩たちは、主として核戦争防止のために人類へ警告を発してきた。そのことも大事だけれど、ぼくはもっと人々の日常の平和に関心を向けたり、戦争を回避し、なくすために何が必要かを考え、伝えていきたい」。5歳のときの被災体験に裏打ちされた言葉である。

 携えていった益川さんの著書にサインをお願いすると、ギリシャ語で「フィラサフィア」とつづってくれた。本来は、考えることが大好きという意味だそうだ。それがやがて「哲学」となった。

 座右の銘は「愛される知」。「愛されない知もありますね」と問い掛けると「確かにある。科学者はそうならないように気をつけなければいけない」と力を込めた。

 専門分野の研究と平和活動という「二足のわらじ」を履いた益川さんの生活は、これからも続く。

(2011年3月7日朝刊掲載)

関連記事
9条理念今こそ世界へ ノーベル賞受賞・益川敏英さんに聞く (11年3月26日)

この記事へのコメントを送信するには、下記をクリックして下さい。いただいたコメントをサイト管理者が適宜、掲載致します。コメントは、中国新聞紙上に掲載させていただくこともあります。


年別アーカイブ