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社説・コラム

『潮流』 剥ギトラレタ世界ニ

■平和メディアセンター編集部長 西本雅実

 東京から広島に疎開した作家原民喜は幟町の実家で被爆した。2年後に著した「夏の花」にある一節がこの「3月11日」以来、あらためて胸に迫る。

 「スベテアッタコトカ/アリエタコトナノカ/パット剥ギトッテシマッタ/アトノセカイ」

 東日本を襲った巨大な地震と津波による死者・不明者は2万6千人を超す。原発事故の影響を含めた避難者も25万人に上る。それまで確かにあった日常がなすすべもなく剥ぎ取られた。助かっても「アトノセカイ」としか言いようのない世界。人間にもたらされた被害の甚大さで震災地と被爆地は時を超えてつながっている。

 政府は被災者生活再建支援法を改正し、家屋が全半壊した世帯への最高300万円の支給額上積みなどを検討するという。識者からは「復興支援税」も唱えられる。戦後未曽有の災害への対処には、これまでの発想にとらわれない施策が求められる。

 廃虚からの広島復興の礎となったのは、被爆4年後に公布された国の特別法「平和記念都市建設法」である。戦災復興補助は大幅に引き上げられ、無償譲渡された旧軍用地に病院や高校ができた。第1条に広島を「恒久の平和を誠実に実現する理想の象徴として」建設することをうたった。

 各震災地に共通する特別法を速やかに制定し、防災に優れ、人間の命を本当に守るまち・地域・国づくりを掲げてはどうだろう。全国の住民の目標ともなるはずだ。

 広島は被爆から13年後「復興大博覧会」を開き、人口も戦前の水準に戻った。ただ都市の再建はできても親や子を奪われた心の傷は癒えないことを歴史は教えている。だからこそ「アトノセカイ」に追いやられた人たちに寄り添う支援と復興がいっそう要るのだ。

(2011年3月25日朝刊掲載)

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