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社説・コラム

コラム 視点 「原子力政策 見直し必要」

■センター長 田城 明

 中部太平洋での一連の米水爆実験に伴う大量の放射性降下物が、参加米兵やマーシャル諸島住民、日本のマグロ船乗組員らの上に降り注いだ1954年。当事国のドワイト・アイゼンハワー大統領や原子力委員会(現エネルギー省)の高官らは「ATOMS FOR PEACE(平和のための原子力)」を盛んに唱え始めた。

 放射能汚染の危険について情報がほとんど閉ざされていた当時の米国民。「原子力発電は安価でクリーンで安全」。こんなうたい文句に国会議員を含め多くの国民は、「将来は電力だけでなく、車も飛行機もすべて核エネルギーに取って代わる」という当局の宣伝を信じた。

 米ソ冷戦下の激烈な核兵器開発競争の一方で、1950~60年代は「ばら色の原子力の未来」が語られた。「時代のビジョン」ともいうべきその影響は、原爆の惨禍を体験した被爆地広島にも及んだ。

 原爆資料館が開館した翌1956年。資料館では「原子力平和利用博覧会」が約3週間開かれた。実物大の原子炉の模型など展示品のために在日米大使館が1億円を出費。米国側の意向もあり、期間中は原爆被害を示す展示資料は、広島市中央公民館に移しての仮展示となった。

 この一事が象徴するように、原爆による悲惨な体験をした被爆者らの間にも「平和利用」への素朴な期待があった。そんな中、1957年に茨城県東海村に日本初の「原子の火」がともった。

 原発は1960年代後半から70年代にかけ、北米や旧ソ連、欧州、日本を中心に広まっていった。「2000年までに全世界で100万キロワット級の原発4450基が建設されるだろう」。国際原子力機関(IAEA)は1974年、こんな予測を立てた。原発推進の絶頂期だ。

 だが、2010末現在、稼働中の原発は30カ国1地域で430基余り。閉鎖分を含めても予測の約11%である。

 大幅に下回ったのは、世界の電力需要に対する過大な見積もりという点もあったが、最大の要因は、1979年の米スリーマイルアイランド原発と、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発での炉心溶融事故だ。特に後者では、広島原爆より数百倍も多い放射性物質が大気中に放出され、「地球被曝(ひばく)」とも形容されるほど広範な地域が汚染された。

 原発の「安全神話」は崩れた。米国では1979年以降、新規発注の原発は建設されていない。欧州諸国でもチェルノブイリ事故後、原発依存に慎重になった。が、日本では乏しいエネルギー資源や石油の高騰などを理由に、国策としてその後も原発建設を推進。今では54基、電力の約30%をまかなう。

 「地震対策も十分しており、大きな事故は起こらない」。政府も電力会社も口をそろえた。ここ10年ほどは地球温暖化防止が盛んに叫ばれるようになり、「原子力ルネサンス」という追い風も吹いた。そうした中での今回の福島第1原発事故である。

 今は核燃料棒のこれ以上の溶融をくい止め、放射性物質の環境への放出を防止することが最優先課題だ。被曝の危険を冒して現場で活動する人々の無事と、一刻も早い事態の収束を祈りたい。

 一方でこの事故を教訓に、原子力行政を根本から見直すべきだろう。どの国の原発であれ、チェルノブイリのような大規模炉心溶融事故が起これば、人間の力ではコントロールしきれない。放射能汚染は、やすやすと国境を越える。その影響はあまりにも大きく、長期間にわたって続く。

 天災と同時に、人為ミスによる事故もある。インドやパキスタン、北朝鮮が示すように原発技術は、核兵器開発・拡散にもつながってきた。原発など核関連施設は、テロ攻撃の標的ともなる。

 仮に事故が起きなくても、危険な放射性物質を多量に含む使用済み核燃料の処理も容易でない。核時代の「負の遺産」を次世代に残すことにもつながる。

 使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、高速増殖炉で燃やして「無限のエネルギー」を得ようという核燃料サイクル構想も、既に破綻しているといっても過言ではない。経済性一つを取っても採算が合わないのは明らかである。

 日本のエネルギー事情を考えるとき、私たちは当分、原発と共存せざるを得ないだろう。そのためには、既存の原発の安全対策を徹底的に見直し、必要なら停止する覚悟も必要である。

 ただ、これからは原発の増設や再処理工場の稼働よりも、二酸化炭素の排出が比較的少ない天然ガスや、風力、潮力、太陽光、地熱、燃料電池など、より環境に優しい再生可能なグリーンエネルギーの利用を促進すべきである。研究開発を含め、こうした分野への思い切った投資は、日本の経済、環境、地域社会、そして安全保障の面からもプラスに働くだろう。

 原子力に代表される巨大技術へのエネルギー依存から脱却し、可能な限り早い時期に「脱原発社会」を達成する。そんな目標を立てて緩やかな方向転換をしてゆくことが、今ほど求められているときはない。

(2011年3月21日朝刊掲載)

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