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社説・コラム

『論』 「フクシマ」の意味とは 露呈した核への無理解

■論説委員 江種則貴

 「10年、20年住めない」―。福島第1原発周辺の避難区域について、菅直人首相周辺から心ない発言が飛び出した。

 政府も東京電力も津波の脅威を軽くみていた。だから放射能漏れ事故は「人災」とも指摘される。なのに、ひとごとのような言い回しである。

 「私たちを古里から追い出したのは誰だ」と住民が憤慨するのも無理はない。一日も早く住民が以前の暮らしを取り戻す。それこそが政府の責務であるはずだ。

 だが残念なことに、チェルノブイリ事故の1割ほどの放射性物質が既に漏れ出たとして、国際尺度で史上最悪に並ぶ「レベル7」とされた。

いわれのない偏見

 その影響もあって別の事態が深刻化している。「フクシマ」は放射能漏れを象徴するマイナスイメージの言葉として国外に伝わった。そればかりか国内で、いわれのない偏見に福島県民が苦しんでいる。

 原発周辺から首都圏に避難してきた子どもが「うつる」と言われたという。福島ナンバーの車は「帰れ」と罵声を浴びせられると聞く。

 津波被害のがれきを国内で手分けして処分しなければならないのに、「福島からの持ち込みは拒否すべきだ」との声も上がる。

 「75年は草木も生えない」と言われた被爆直後の広島。現実はそうならなかったものの、被爆者も同様に周囲の偏見に悩まされてきた。

 12年前もそうだった。

 茨城県東海村での臨界事故。核燃料製造工場の作業ミスで、2人の生命が奪われた。外部へ漏れた放射線はごく微量だったが、やはり風評被害が広がった。

 事故直後に現地を取材し、広島の新聞記者だと名乗ると住民から質問攻めにあった。「庭に植えた野菜は食べられるか」「水道水は大丈夫か」

 東海村といえば日本の原子力平和利用の拠点だ。放射能について住民の知識は十分だろうと予想していただけに、面食らった。  戦後このかた、国策として原発建設は進む。それでも少なからぬ国民が放射能を詳しくは知らず、誤解や偏見すら生じている。そんな社会でいいはずはない。

 被爆の悲惨さ、言い換えれば原爆放射線の影響を内外に伝えるのが、私たちも含めたヒロシマの使命だ。十分に果たしてきたか、自問自答の機会にもなった。

消費社会 再考の時

 4年前、新潟県の柏崎刈羽原発が中越沖地震に見舞われ、変圧器から黒煙が上がった。作家の高村薫さんが当時、「新潟日報」のインタビューで今日の事態を予言していた。

 「震災の不条理に原子力施設の事故が加わると、もうこれは人間の耐えられる限界を超えていく」

 息の長い復興の歩みを経て、「ヒロシマ」は核兵器廃絶を訴える平和の象徴となった。

 「フクシマ」を偏見の言葉としないために、できる限りの人知と努力を傾け、一刻も早く事故を収束させたい。同時に、放射線の正しい知識を広め、国を挙げて原発の今後を再検討するほかあるまい。

 エネルギーを大量消費する現状を見直す機会でもあろう。「フクシマ」はその出発点にもなる。

(2011年4月17日朝刊掲載)

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