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社説・コラム

天風録 「壁新聞」

 爆心地に近い広島市の紙屋町。銀行の壁を食い入るように見つめる人々の写真がある。頭に包帯を巻いた男性がいれば麦わら帽子の女性も。視線の先には被災者の名簿と並んで「中国新聞」が張り出されている▲原爆投下から6日ほどたって撮影された。新聞社も社員の3分の1を失った。だが被爆3日後には代行印刷ながら発行にこぎ着ける。わずか2ページの紙面。未曽有の体験を強いられた市民には貴重な情報源だった▲東日本大震災で被災した人たちも同じかもしれない。先月半ば、福島県川俣町の避難所を訪ねた。原発20キロ圏から逃れてきた人たちだ。見えない放射能汚染への不安をひしひしと感じた。むさぼるように回し読みされていた地方紙。慣れ親しんだ新聞が心の支えになったろうか▲宮城県石巻市の夕刊紙「石巻日日(ひび)新聞」の号外が米国の報道博物館の目に留まり、展示されるという。停電と浸水に見舞われたため、フェルトペンで手書きして市内の避難所に張り出した。歴史に残る紙面に違いない▲本紙が自力で印刷を再開したのは被爆約1カ月後だった。食料品配給の拠点を知らせる記事とともに、社説やコラムには「復興」の文字も見える。今の東北の各紙もそうだ。寄り添いながら希望を紡ぐ。そんな新聞の役割を思う。

(2011年4月21日朝刊掲載)

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