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社説・コラム

コラム 視点 『先見えぬ原発被災者 「原爆に遭ったようなもの」と嘆息』

■センター長 田城 明

 「わしらは原爆に遭ったようなもんだ。広島や長崎と同じ放射能で苦しんでいるんだから…」

 今も放射性物質の放出が続く東京電力の福島第1原子力発電所。この事故のために埼玉県内へ避難を余儀なくされている福島県双葉町の住民が発した言葉である。原発が地元にあることで、「町民はあらかた東電で食ってきた」との話の後に出た言葉だっただけに、彼らが原発と原爆を結びつけることに意外な感じさえ覚えた。

 兵器としての原爆や水爆は、爆発の瞬間に大量の放射線を放出するだけでなく、強烈な熱線と爆風を伴う。多くの被爆者が、その日目撃した信じ難い光景を「生き地獄だった」と振り返るとき、主としてそれは熱線と爆風によってもたらされたものだ。

 電気を生み出すことが目的の原発は、炉心溶融事故の際にも、核兵器のような熱線や爆風は起きない。しかし、原子炉内に閉じ込められていた放射性物質が、いったん大気中などに放出されてしまうと、人体や環境に影響を与えるという点では同じである。被曝(ひばく)線量や被曝の形態、ヨウ素やセシウム、ストロンチウム、プルトニウムなど放射性核種によって影響の度合いが違ってくるだけだ。

 4月12日までに福島原発から放出された放射性物質の総量は、原子力安全委員会によれば、史上最悪とされるチェルノブイリ原発事故の10分の1程度という。が、それでも既に広島で放出された総量の数十倍にも達している。東電が発表した計画通り6~9カ月で事態を収束させることが仮にできたとしても、その間に放出される放射性物質の総量は、膨大なものになるだろう。

 幸い双葉町の住民の多くは大津波からの避難の延長で、原発から素早く遠くへ逃げ出し、被曝を免れることができた。それなのになぜ「原爆に遭ったようなもの」なのか。尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「放射能で汚染された故郷へいつになったら帰れるのかも分からん。先を思うと不安で、苦しいばっかり」「原発が爆発したら、狭い日本でもう逃げっとこなんかない」

 原発事故による放射能汚染で、暮らしも故郷も奪われた住民たちからすれば、精神的には原爆に遭ったのも同じこと、彼らはそう言いたいのである。被曝による人体への直接的な影響はないにしても、精神的ストレスなど心身に与える影響は否定すべくもない。

 米国やロシア、カザフスタン、ウクライナ、ベラルーシ、英国、フランス、インド、イラク…。私自身、これまでさまざまな国で被曝者に会って取材した。核兵器関連工場の労働者や周辺住民、大気圏核実験に参加した兵士や風下地域の住民、ウラン鉱山労働者、原発事故による被害者もいる。ただ、広島・長崎の被爆者のように、頭上で原爆がさく裂して熱線や爆風の影響を併せて受けたという人々はいない。

 核兵器、原発を問わず、共通しているのは放射線被曝ということである。被曝者の多くは、人口の少ない過疎地であったり、世界の「辺境の地」と呼ばれるような所に住んでいた。人の近づけない放射能汚染地帯も、地球上には数多く生まれている。

 福島第1原発を含め、現在54基ある日本の原発の多くも過疎地域に設けられている。「原発は絶対安全」と言ってきた政府や電力会社にしても、人口が密集する地域では、やはりリスクが大きいからである。

 「エネルギー源を分散してリスクを軽減する。そのためにも原発は欠かせない」。3月11日の事故後、原発への国民の不安や反発が高まる中で、電力会社などからこうした声がよく聞かれるようになった。資源小国の日本にとって、確かにリスク分散は必要だろう。しかし、福島原発事故は、そのために貢献するはずの原発そのものが、最大のリスクを国民にもたらしていることを如実に示してはいないだろうか。

 広島・長崎・ビキニ…。放射能の怖さを知る日本で、多くの新たな被曝者や被災者をつくり出す。これほど悲劇的なことはない。私たちは今こそ、65年をすぎた今も放射線後障害に苦しむ被爆者や、双葉町住民ら被災者の警告に、謙虚に耳を傾ける必要がある。

(2011年5月2日朝刊掲載)

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