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社説・コラム

『論』 「電力依存」社会 暮らしを切り替えよう

■論説委員 石丸賢

 静岡県の中部電力浜岡原発の原子炉が、政府の要請で全て止まる可能性が出てきた。福島第1原発の事故で現実のものとなった「原発震災」。今後、各地の原発に対しても再吟味を求める声が強まろう。

 「原発を持って帰って」。避難所で東京電力の社長を迎えた福島の被災者はそう叫んだ。あの訴えは原発を運転する全国の電力会社にも向けられているはずだ。

 同時に、便利な電化生活にどっぷり浸っている私たちをも問いただしていよう。原子力は既に国内電力の約3割を賄っている。

 電気は欲しいが、原発が近くに来るのは困る。そんなたらい回しの揚げ句、大都会から遠く離れた地に原発が建てられ、振興策や交付金として膨大な金が投じられてきた。

 東日本大震災の後、原発の在り方を尋ねた共同通信の世論調査結果がある。「減らすべきだ」と「直ちに廃止」は合わせて46.7%。「現状維持」と「増設すべきだ」も計46.5%で肩を並べる。

よそに犠牲強いる

 もし質問がこうだったら―と想像してみる。あなたの地元に原発が置かれている、または置かれる前提で答えてください、と。

 自分たちは安穏に電気を手に入れ、犠牲はよそに強いる。「いいとこ取り」の構造がいつまで許されるのだろうか。

 原発に頼らない生き方を手探りし始めた人々の間で今、こんな言葉が広がりつつある。

 「どんな問題も、それを引き起こしたのと同じ物の考え方のままでは解決できない」

 米国に原爆開発を進言する書簡に署名し、後にその過ちを悔いた科学者アインシュタインの言葉という。

 「3・11」で見直されるべき考え方とは何だろう。

 戦後の日本で豊かさのシンボルといえば電化だった。高度成長のころ洗濯機や冷蔵庫、テレビが「三種の神器」ともてはやされた。

 便利さを追い求め、行き着いた先が24時間無休で明々とした街並みや家庭の風景ともいえる。昨今は「オール電化」といった掛け声まで聞こえてくる。

まきだって使える

 この夏は東日本に限らず列島全体が電力不足に陥るかもしれない。このまま電気エネルギーへの依存を高めることに対する警鐘にも思える。

 節電も大事だが「喉元過ぎれば…」ともなりかねない。暮らしの流儀を根底から洗い直してみる必要がありそうだ。

 福島県境の栃木県北部に住む工学博士で発明家の藤村靖之さんは「非電化」の勧めを説く。生活の電化はほどほどにしてガスや水、太陽などのエネルギーも組み合わせようというスローライフの提案だ。

 ガスやまきを使い、圧力鍋でお米を炊けば調理時間が短くて済む。試食会では例外なく味も鍋炊きに軍配が上がるそうだ。水の放熱作用で冷やす冷蔵庫は電気冷蔵庫には及ばないものの、夏でも7、8度を保てる仕組みという。

 代替が可能なエネルギー源の組み合わせは、いざというときに危機の分散にもつながろう。電気頼みになっている暮らしから切り替える。その一歩を踏み出したい。

(2011年5月8日朝刊掲載)

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