×

社説・コラム

コラム 視点「小頭症患者に専任相談員配属 これを契機に被爆者全体の生活相談の充実を」

■センター長 田城 明

 四半世紀ほど前のことである。広島・長崎取材に訪れた米国やアジア各国の記者を案内して、岩国市に住む原爆小頭症患者の家を何度か訪ね、父親からつきぬ苦労話を一緒に聴かせてもらった。

   「原爆が解き放った放射線が、この世に生まれる前の胎児の生涯にまで影響を及ぼすとは…」「無心に雑誌をめくる患者の姿が、原爆の非人道性を告発している」

   記者たちは帰国後、新聞、テレビなどそれぞれのメディアを通じて、原爆小頭症患者について報じた。ほとんどの記者は、小頭症患者の存在も、放射線被曝(ひばく)によって彼らが生まれたことも知らなかった。後に広島に届けられたリポートの内容が、記者たちが受けた衝撃の深さを示していた。

   取材に快く協力してくれた父親の思いは、何の罪もない原爆小頭症患者を生み出すような核兵器を、地上から早くなくしてほしいとの強い願いからだった。

 「身の回りの世話ができないわが子より、一日でも長生きしたい」。外国の記者らにも口にし、母親亡き後、働きながら懸命に子の世話を続けた父親も2年半前に逝った。ほかの小頭症患者の親たちも次々と亡くなる中で、22人の患者たちは65歳に。一層治療や介護を要するようになった。

 患者家族らによる広島市や広島県、国への要望が実り、4月からようやく小頭症患者専任の医療ソーシャルワーカーが広島市に配属された。だが、行動範囲が広島市域にとどまっていては、市域外の患者や家族への手助けは限られたものになろう。患者が居住する自治体とのネットワークの強化も大切だが、せめて半年に1度ぐらいは専任者が現地に出向いて直接患者や家族に会ったり、患者以外の被爆者相談の充実につなげたりすることはできないだろうか。

 今、求められているのは小頭症患者だけでなく、高齢化するすべての被爆者に対する生活相談の充実であるからだ。

 昨年3月末の全国の被爆者数は22万7565人。平均年齢は76.73歳である。被爆者が約7万1千人と最も多い広島市の場合、8つの各区役所に配属されている被爆者相談員(保健師)の数はそれぞれ1人。西区には約1万2千人、最も少ない安芸区でも約3千人の被爆者がいる。相談員の人数一つを取っても、十分な対応が難しいことが容易に想像できよう。

 しかも、広島市内の被爆者のほぼ3割は、一人暮らしである。原爆で家族を失ったり、病気で先立たれた人も多い。このため後見人がいなかったり、頼る縁者がいなかったりするケースも目立つ。一方で医療や福祉制度は従来よりも複雑化しており、被爆者だけでは解決できないことが多くなっているのだ。

 広島市内に4つある原爆養護ホームへの入所も、4、5年は待たねばならないのが実情である。広島原爆被爆者援護事業団理事長で、特別養護ホーム「倉掛のぞみ園」(安佐北区)の園長でもある鎌田七男さん(74)は、「被爆者が何でも気楽に相談できる窓口を充実させることが急務だ」と強調する。

 仮に行政だけでこうした対応をするのが困難であれば、市民団体などの協力を得ることも大切だろう。例えば広島市では、市内の医療機関などで働く医療ソーシャルワーカーらが中心になってつくるボランティア団体「原爆被害者相談員の会」がある。すでに活動を始めて30年。約80人のメンバーのうち、ほぼ30人は医療ケースワーカーの資格を有する専門家である。

 ただ、相談場所の確保や財政的な問題もあり、多くの被爆者を対象に相談会を開くのは年に1、2回にとどまっている。「広島市から被爆者が訪ねやすい適当な場所さえ提供してもらえれば毎日でも開きたいぐらい」と話すのは、代表を務める医療ソーシャルワーカーの三村正弘さん(65)だ。20~30代の人たちも加わっており、相談活動は若い世代への被爆体験の継承にもつながるだろうという。

 今回の小頭症患者への専任医療ソーシャルワーカーの配置は、一歩前進と言えよう。これを契機に、相談員の会などとの連携も深めながら、ぜひ小頭症患者を含めた被爆者全体の生活相談の充実を図りたいものである。

(2011年5月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ