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社説・コラム

新藤監督の「原爆の子」NYで初公開 米国での平和教材に

◆竹内道 

 ニューヨーク市の5区の一つ、ブルックリンにあるブルックリン・アカデミィー・オブ・ミュージック(BAM)は、ニューヨーカーがこよなく愛するカルチャー・センターである。世界各国の斬新な映画、音楽、パフォーマンスを紹介してきた文化施設として名高い。

 このBAMの中にある映画館で、4月22日から5月5日までの2週間、新藤兼人監督の回顧展が開催され、11作品が上映された。この期間中に「原爆の子(チルドレン・オブ・ヒロシマ)」がアメリカで初めて一般公開され、話題を呼んだ。連合国軍総司令部(GHQ)による占領が終わった1952年、新藤監督自身も設立メンバーである近代映画協会が製作した作品である。

 被爆後広島を離れ、瀬戸内海の島に住む親類の家に身を寄せていた幼稚園の教師(乙羽信子)が、7年後に広島に戻り、市内中を当時の教え子をさがして歩きまわり、成長した子どもたちと再会をする。そこで「病気、絶望、そして一縷(いちる)の希望、復興を広島に見いだしていく」(ニューヨーク・タイムズ)というストーリーである。

 主要新聞であるニューヨーク・タイムズやビレッジ・ボイスの映画評で取り上げられ、日本では原発問題が続いており、今回の「原爆の子」は上映のタイミングに意味があると書かれていた。私も初めて鑑賞した。劇場内は年配の方が目立ったが、大半はアメリカ人の観客で、皆静かに映画に見入っていた。

 私は被爆後の広島のまちの様子を見て、原爆によって、人々の人生が残酷にも一変してしまったことを新たに実感し、被爆した祖父、母のことを思わずにはいられなかった。

 この回顧展を担当したBAMのジェイク・パーリンさんは「『原爆の子』はこれまでアメリカで正式に公開されず、たまたま埋もれてしまっていた名作なので、今回ようやく、ニューヨークの人々に見てもらえる機会ができて、うれしい」と語った。回顧展は、BAMの後、5月27日にハーバード大学でも上映される。

 「原爆の子」を見た観客の一人にロバート・クルーンキストさんがいる。長年高校で比較文学などを教えてきた教師で、現在、平和教育に携わっているキャサリン・サリバンさんとともに、「ヒバクシャ・ストーリーズ」というプログラムを運営している。ニューヨークおよび近郊の高校に広島や長崎から被爆者を招待して、高校生に体験を語ってもらう教育活動である。

 ロバートさんは「広島の人たちが、つらい過去や継続する困難を前向きに受け止めて生きてきた姿を、ドラマとして見ることができて、本当に感動した。アメリカの高校でぜひ教材として使ってほしい作品だ」と語った。

 終戦から66年もたつが、原爆が人々の生活を粉々に壊し、いまだにその後遺症に苦しむ人がいることを世界の若者たちに伝えていくことは、平和に少しでも近づくために、私自身、日本人としての責任だと痛感した。

たけうち・みち
 広島女学院高を卒業後、米国の大学に留学。大手広告代理店を経て、1988年、日本発の海外ビジネスを支援するためアークメディアを設立。ニューヨーク在住。

(2011年5月21日朝刊掲載)

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