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社説・コラム

『潮流』 1954年とフクシマ

■論説主幹 山城滋

 「海水の放射能は、海流に乗って数マイルも流れるうちに無害となる」。ビキニ環礁での水爆実験後の1954年3月、米国原子力委員会の委員長はこう語った。

 第五福竜丸が死の灰を浴び、マグロから強い放射能が確認された。日本中に広がるパニックを和らげる狙いもあったろう。  日本政府は科学者を集めて調査船を出した。周辺海域を徹底的に調べ、放射能汚染の広がりを確かめた。放射性物質を体内に蓄積した魚も多く見つかった。

 米見解を事実で覆した経緯は、調査顧問で地球化学者の三宅泰雄氏が著した「死の灰と闘う科学者」(岩波新書)に詳しい。特筆したいのは、報道陣も同乗する開かれた調査だったことだ。

 今、福島第1原発事故による放射能汚染が住民や農家、漁業者らを苦しめている。政府の対応は、「直ちに健康に影響はない」という官房長官の談話に代表されると言ってもいいだろう。

 不安や風評をあおるまいという配慮なのか。一方で、どこまで情報が公開されているかとの疑問がつきまとう。ビキニ被災時の調査のような「包み隠さず」の姿勢がほしい。それが結局は信頼性を高めるはずだ。

 ビキニ被災をきっかけに原水爆禁止の署名運動が広がった。翌年8月6日、広島での第1回原水爆禁止世界大会へと結びつく。

 くしくも同じ54年、政治家主導で原子力平和利用の研究も始まる。こちらは抜き打ち的に予算を国会上程する強引さだった。

 議論なきゴーサインに三宅氏は「連鎖反応を誘い、次第に大事になるのではないかという不安を感じた」と書いている。

 収束のめどが立たない原発事故。57年前のさまざまな出来事が今、フクシマに重なって見える。

(2011年5月25日朝刊掲載)

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