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社説・コラム

『潮流』 「唯一の被爆国」と言うなら

■平和メディアセンター編集部長 西本雅実

 中国南京市に住む王大文さん(85)は、原告申込書に添える「被爆体験の詳細」を60年余り前に学んだ日本語で書いていた。「朝早く学校へ出、教室で自習しながら先生を待っていた。突然…」。広島高師(現広島大)の教室にいた。爆心地から約1.5キロだった。

 王さんは、日本が中国東北部で統治した「満州国」から留学した。一命を取り留めた後は東京工業大で学び、建国間もない中華人民共和国へ1952年に戻った。

 文化大革命ではへき地に追われ、1976年に南京の工業大学で教職を得た。1981年に広島へ招かれ被爆者健康手帳を取得。しかし被爆者援護からは長年切り捨てられた。一片の通達のためである。

 日本を出国した被爆者は手当などの受給権を失う。厚生労働省は1974年に出した旧公衆衛生局長名の通達を順守し、在外被爆者を援護の枠外に置き続けた。

 最高裁は2007年、通達は「違法」として国家賠償を命じた。以来、在外被爆者が日本政府に損害賠償を求める集団提訴と和解協議が広島地裁などで続く。

 王さんは先月23日、中国在住の被爆者として初めて原告に名を連ねた。厚労省は通達の誤りを認めても、賠償に応じる条件に提訴を課しているからだ。耳が遠くなった王さんは、知人の広島市民からの手紙で賠償のことを知った。

 政府は「唯一の被爆国」と国連でも訴えてきた。しかし援護は内と外で差をつけた。今に至るも、推計4千人を超す在外被爆者を捜し出して賠償することを伝えようとはしていない。医療費の支給にも上限を定めている。

 そうした被爆国で史上最悪の原発事故が起き、新たな核被害者が出る。被爆・被曝(ひばく)に対する国の責任と対応をしっかり見つめる時にある。

(2011年6月3日朝刊掲載)

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