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社説・コラム

コラム 視点「国交のない台湾、北朝鮮の被爆者にも積極的な援護を」

■センター長 田城 明 

 原爆被爆による放射線後障害や偏見、差別に苦しみながら、国から何の支援も得られぬまま敗戦後の10年余を過ごさねばならなかった広島・長崎の被爆者。放射線被害の特殊性が認められ、被爆者の健康診断と治療費の国費負担を定めた原爆医療法が制定されたのは、1957年のことだ。その後も被爆者団体などの要求で、健康管理手当の支給など援護の拡充は認められていったが、「国外に居住を移した被爆者には法律上の援護の手は及ばない」(旧厚生省)として、在外被爆者には適用されず、差別が続いた。

   「属地主義」の立場を取る「国家」の壁を破ったのは2001年の大阪地裁判決である。「被爆者はどこにいても被爆者」。在韓被爆者の訴えに対して判決は、被爆者援護法は「人道的見地から被爆者の救済を図ることを目的にした法律」で、在外被爆者の排除は「法の趣旨目的に反する」と断じた。控訴した国が、最高裁判決で敗訴するまでさらに6年の歳月を要した。

   国の姿勢からは、かつて植民地支配し、「日本人」として被爆した韓国、朝鮮人被爆者や台湾人に対して道義的責任を果たそうとする意志がみじんも感じられない。

 こうした中で、広島と長崎の被爆2世らが今回、日本と国交のない台湾人被爆者の実態調査に取り組み、支援に乗り出したのは心強い。半世紀以上におよぶ空白を埋めるのは容易ではないだろう。しかし、国や被爆地の自治体、さらには被爆者団体などの協力を得て、実りある援護に結び付けていきたい。

 台湾と同じように、日本と国交のない北朝鮮。広島や長崎で被爆後、北朝鮮に帰還した被爆者には、いまだ日本政府による援護は一切届かず、見捨てられた状態にある。北朝鮮の被爆者は、現在、少なくとも数百人はいるとされるが、高齢化が進み、亡くなる人も多いと聞く。

 広島からは2008年に広島県医師会の碓井静照会長ら8人が訪朝。現地の関係者の協力を得て、具体的な検診・治療を行うための協議を進めた。だが、北朝鮮による核実験の実施などもあり、悪化した日朝政府関係の中で、2度目の訪問はまだ実現していない。東日本大震災による被災地への医師派遣などが一段落するであろう今秋には実現したいとの考えだ。

 医師による人道支援に国境はない。とりわけ、広島の医師たちは「被爆者はどこにいても同じ医療支援を受ける資格がある。それを行うのが被爆地の医師の務め」との使命感を抱く。国交がないからといって放置するのではなく、緊急を要する被爆者治療など民間でできるところから始めたい。そのことが両国民の不信を取り除き、信頼を築く糸口にもなるだろう。

(2011年6月6日朝刊掲載)

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