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社説・コラム

社説 首相の「脱原発」表明 妥当だが議論が足りぬ

 菅直人首相が表明した「脱原発」。段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を目指すという。

 その方向性は妥当といえる。だが、国のエネルギー政策の大転換なのに、政権内で議論を積み上げて打ち出した形跡はない。それが最大の不安材料だ。

 時期などの具体的な目標も示していない。「どう進めようとしているのか分からない」。いぶかしがる声が与野党内や自治体トップから上がるのは当然だろう。

 それに対し枝野幸男官房長官は「遠い将来の希望を語った」と説明した。早くもトーンダウンなのか。消費税引き上げや環太平洋連携協定(TPP)といった前例もある。唐突に打ち上げて尻すぼみになる懸念は拭えない。

 首相の延命策との受け止めもある。本人は否定するが、脱原発を争点にした解散論もくすぶる。

 原発問題を政局に利用するようなことがあってはならない。退陣を表明した首相の下でなく、次期政権で腰を据えて議論すべき重要なテーマである。

 首相も強調したように、電力の約3割を賄ってきた原発に対する国民の見方は、福島第1原発事故で劇的に変わった。

 事故が起きるとコントロールできない原子力の怖さを多くの人が感じた。世界有数の地震国というリスクの大きさも思い知った。

 使用済み核燃料が原発の中にため込まれたまま行き場がない実態も白日の下にさらされた。再処理して活用する核燃料サイクル計画の見通しが立たないことも原発依存の未来を暗くしている。

 再生可能エネルギーの推進に異議を唱える人はいまい。ただ、いつまでにどのくらい原発からの転換を進めるのかという青写真がなくては、空論になりかねない。

 経済界などから早くも異論が出ている。安い電力の確保に支障が生ずれば企業の海外流出が進み、国内の雇用確保にも影響が出てくるという。電力業界や経済産業省内にも、そんな見方が根強く残っていよう。

 ただ、休止中の原発の再稼働が見込めないこの夏、当初言われていた電力危機はどうやら免れそうだ。首相も言及したように、節電や自家発電の活用などで対応できる見通しとなった。

 今回、分かったことがある。電力に関する問題は、さまざまな前提を変えれば、導かれる答えが違ってくるという事実だ。

 これまで電力需要は伸び続けることが前提になっていた。ところが、これから国内の人口は減る。電力浪費型の暮らしを見直し、産業界も省エネ技術に磨きを掛ければ、原発への依存度を着実に減らすことも可能ではないか。

 原発を推進してきた自民党も政策の見直しを始めた。国会での論戦はもちろん、国民的な議論が欠かせない。

 あらゆる前提をゼロから吟味し直した上で、選択肢を絞っていく。そんな営みに国民が参画できるようにすべきだ。

(2011年7月15日朝刊掲載)

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