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社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘をつく遺族代表 中根しのぶさん

■記者 山崎雄一

子どものため 願い込め

 「被爆者、そして震災で亡くなられた方の冥福を祈るとともに、将来がある子どものために平和が続いてほしい、との願いを込めたい」。2011年8月6日午前8時15分、遺族を代表して平和記念公園(広島市中区)の鐘を鳴らす。東日本大震災があったその年の夏。大役の重みを感じる。

 66年前。30歳だった祖母が被爆死した。遺骨は見つかっていない。母は当時3歳。あの日の記憶はない。後に母が親戚に様子を聞いて回ったが、出勤途中に自宅近くの舟入あたりで被爆したくらいしか分からなかった。断片的な情報を基に市の死没者名簿に記載できたのが1974年。祖母の死から30年近くが過ぎていた。

 祖母を知る手掛かりが安芸区船越の自宅に一つある。棚の上に置かれた白黒写真に、母親に少し似た着物姿の祖母がいる。「我慢強くて、優しいイメージ」。そして被爆した時の無念さに思いをはせる。「大事な子どもを残して死にきれなかったはず」。9歳と2歳の娘がいる自分と重ね合わせる。

 連日、東日本大震災の被災地の様子が報道されている。建物が根こそぎ流された街、泣き叫ぶ子ども…。広島では一発の原子爆弾が同じように街を廃虚にした。平和の尊さ、核兵器の恐ろしさを今、再認識させられている。  被爆地から打ち鳴らす鐘の響きに自分自身の決意も込め、祖母に届けるつもりだ。「残された家族は元気にやってます。子どもたちをしっかり守ります」

(2011年7月20日朝刊掲載)

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