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社説・コラム

社説 米の臨界前核実験 繰り返す暴挙許せない

 米国が昨年12月と今年2月に臨界前核実験をしていた。核兵器廃絶を願う国際世論への挑戦であり、暴挙と言わざるを得ない。

 しかもオバマ政権では昨年9月を含め、実験はこれで計3回になる。被爆地には憤りとともに、失望感が広がっている。

 大統領就任の直後、「核なき世界を目指す」と高らかに宣言したオバマ氏。実際には「核拡散を防ぎ、核テロを食い止める」との外交目標に力を注いできた。

 だが実験の強行は、自国の核戦力は維持するとの態度表明にほかならない。これでは、いくら他国やテロリストに「核を持つな」と迫ったところで説得力は乏しい。

 この3回の実験は従来と同様に核爆発を伴わず、包括的核実験禁止条約(CTBT)に違反しないと米国は主張している。核兵器の「信頼性」を確認するとの実施理由も変わる点はない。

 だが気になる変化がある。オバマ政権になってから実験場の周辺住民やマスコミに対し、事前の告知をしなくなったことだ。

 昨年9月の実験ではエネルギー省傘下の国家核安全保障局(NNSA)が直後に公表した。その後の2回分はやっと今年6月、ホームページに掲載した。

 情報公開の大幅な遅れについてNNSAは納得できる理由を明らかにしていない。批判をかわすための姑息(こそく)な手段だと勘ぐられても仕方あるまい。

 実験を繰り返すのは、老朽化した冷戦時代の核兵器を長持ちさせたい事情があるようだ。同時に、米国内向けの政治的アピールも目的とされる。

 米国はCTBTを批准していない。野党の共和党議員を中心に「米国の核開発を縛る」などの抵抗があるためだ。

 これに対し、批准の実現にこだわるオバマ政権は「臨界前を積み重ねれば核兵器の性能は維持できる」と、実験を反対派への説得材料にしてきた。

 強大な核戦力を政権の求心力のために利用する。それこそ「核なき世界」が理念倒れとなっている現実の象徴でもあろう。  昨年8月6日。原爆投下国の代表としてルース駐日大使が、原爆犠牲者を悼む広島市の式典に参列した。被爆地では「次は大統領の訪問を」との声が強まった。

 しかし期待はしぼんでいる。しかも今回、被爆66年の夏を目前に実験が公表され、ヒロシマが冷や水を浴びせられた感は否めない。  その意味で、被爆国政府の反応の鈍さがいらだたしい。

 福山哲郎官房副長官はきのう「政府として抗議はしない」との見解を示した。CTBT違反ではないとの理由だ。しかし「核兵器廃絶の先頭に立つ」と明言したのは、ほかならぬ民主党政権ではなかったか。

 福島の原発事故が内外で注目されている今こそ、核兵器の廃絶、「ノーモア・ヒバクシャ」の訴えは共感を広げるだろう。被爆地が先頭に立って政府を動かし、国際世論を一段と喚起したい。

(2011年7月21日朝刊掲載)

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