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社説・コラム

『この人』 第8回ヒロシマ賞授賞式で広島を訪問 オノ・ヨーコさん

■記者 西村文

「愛」訴え日々反戦運動

 授賞式に先立って訪れた広島市中区の原爆慰霊碑。2分もの間、祈りをささげた。「ヒロシマの亡くなった方々に導かれて、私はここに来た。ヒロシマがどんな苦しみをしてここまできたかを(作品を通じて)世界の人に分かってもらいたい」

 昨秋にヒロシマ賞受賞が決定し、記念展を準備中に東日本大震災が発生した。「みんな絶望的な気持ちでいるけれど、日本は焼け野原から復興した。今度も、希望の路(みち)を歩いていくしかない」。急きょ、記念展のタイトルを「長崎への道」から「希望の路」に変更した。

 広島訪問は1974年、95年に続いて3回目。佐々木禎子さんにインスピレーションを得て制作した曲もある。福島原発事故には「原爆の悲劇から立ち上がった日本でなぜまた。悔しさでいっぱいです」。

 米ニューヨーク在住。70年代、夫の故ジョン・レノンさんとともに「愛と平和」のメッセージを発信し、反戦運動の象徴に。レノンさんの死後も、国連本部で核兵器廃絶を訴えた。「反戦運動は生活の一部。アートでも音楽でも最後のメッセージは同じ。『愛』ということ」

 記念展会場の市現代美術館(南区)入り口にある「ウィッシュ・ツリー・フォー・ヒロシマ」は、来場者が願いを札に書いて枝につるす参加形式のアート。自らも「今日、ここに集った人たちがみんな、たのしい平和な人生を送れますように」とつづった。「大きなことはできなくてもいい。私たち一人一人が願えば、やがて社会全体が変わる」

(2011年7月31日朝刊掲載)

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