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社説・コラム

『潮流』 被災地につなぐ記憶

■報道部長 高本孝

 広島バスセンターは平屋だった。乗り場に立つと、広島城のある北向きの視界が開けた。その空の下に「原爆スラム」と呼ばれた地区が広がっていた。

 1970年前後のあやふやな記憶である。ただ、広島市の真ん中に奥行きを持ってひしめくバラックの屋根を見ながら、たくましい生活感と原爆の悲惨の両方を子どもなりに感じ取った。

 一帯は今、市中央公園になっている。のどかな緑地に立つたびに、さまざまな思いがよぎる。それが戦後世代なりの「被爆地の記憶」かもしれない。

 この夏、社会面で「つなぐ記憶」と題した連載を展開している。

 原爆に両親ときょうだいを奪われ、広島駅前の焼け跡をさすらった男性にも登場してもらった。孤独や飢えを振り返る言葉に血肉が通う。男性は後に市の幹部職員となり、まるで運命に導かれるように、自らの「原点」である駅前の再開発に情熱を注ぐ。

 一方、高度経済成長期に物心の付いた世代にとって、戦争や被爆を語り継ぐ根拠はいきおい、資料や人づての話、目の奧の残像となる。次の世代にどう記憶をつなぐか、時に無力感にも襲われる。

 一方、私たちは、東日本大震災、福島第1原発事故という同時代の災厄を目の当たりにした。

 発生の数日後、多くの命が津波にさらわれた現場に入った若手記者の言葉が忘れられない。「被爆直後の広島のようです」

 映像でしか当時を知らない世代の表現を、あながち大げさとは思わなかった。

 被爆地にしみついた惨状の記憶には、そこから立ち上がった人々の思いもこもる。見えない核におびえるフクシマなど被災地につなぎたい。被爆66年。ヒロシマは確かに、新たな役割を担った。

(2011年8月5日朝刊掲載)

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