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社説・コラム

天風録 「始まりの日」

人影が一つ、また一つ。夜明け前の平和記念公園をゆっくり行き交う。腰をかがめ、はうように石段をのぼり、慰霊碑を目指してくる被爆者たち。長い祈りの後、天を見上げる。線香の煙が太く流れる。白みかけた空から、にわかに雨が落ちてきた▲92歳の女性は、夫を捜して焼け野原を歩いたという。下の子を背負い、上の子の手を引いて、あてどなく。「あきらめきれんでねえ」。結局、夫には二度と会えなかった。「今年は泣かんと決めたのに」。それでも目がうるむ▲レンコン畑に遺体を集め、荼毘(だび)に付したと振り返ったのは82歳の男性だ。白血病や脳梗塞など大病を重ねてきた。放射能への不安は今なお拭えない。「もう核はやめてほしい。原発もいらんのじゃないでしょうか」。福島の痛みに心を重ねる▲「私たちの苦しみは、まだ始まったばかり」。後藤恵さん(44)はその福島県南相馬市から家族で広島に避難してきた。式典には夫とボランティアで参加した。忘れてしまいたい悲しみに目をそらさず、被爆者が伝えてきたからこそ今がある―。それが被爆地で暮らしての実感だ▲ヒロシマに終わりはなく、フクシマの先行きはいまだ見通せない。被爆66年の8月6日。核と闘う人々が心を通わせ、手を携え合う。その始まりの日。

(2011年8月7日朝刊掲載)

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