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社説・コラム

社説 長崎原爆の日 問われた二つの原子力

 きのうあった長崎市の平和祈念式典。田上富久市長は平和宣言の冒頭から、福島の原発事故に触れ「がくぜんとした」と衝撃を語った。広島市の平和宣言でも松井一実市長が「事故で原発への信頼が崩れた」と言及している。

 被爆地を中心に核兵器廃絶を求める行動がことしは様相を大きく変えた。東日本大震災の発生から5カ月。今もなお収束の見通しが立たない原発事故の影響である。

 被爆者団体をはじめ、福島や広島で始まり長崎に引き継いだ二つの原水禁世界大会も、原発からの脱却・撤退を基調に据えた。

 原子力の軍事利用に反対するだけでなく、平和利用のあり方についても根本から問い直す―。「二つの原子力」に向き合わなければならない。

 「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発が必要」と訴えた田上市長。放射能の恐怖におびえる「ヒバクシャ」を新たにつくってはならないとの決意が伝わる。

 被爆地が蓄積した研究の成果を、原発事故による放射能汚染の拡大を防ぐために最大限生かす必要がある。行政や大学間で始まっている連携を一層強めるべきだ。

 被爆者と被災地住民の交流も、さらに深めよう。放射能の影響についての誤った認識から生じる偏見や差別を広げてはならない。

 原発への依存度を減らす方向で国のエネルギー政策を白紙から見直す。大筋ではそんな国民的合意ができつつあるのではないか。

 しかし電力不足が懸念される中、停止中の原発をどうするかといった当面の具体論になると、賛否が分かれているのも事実だ。

 これまで原発推進を掲げてきた電力会社の労組などを抱える連合や核禁会議が、百八十度の路線転換を受け入れるのは難しかろう。

 原発労働者の被曝(ひばく)や使用済み核燃料の処理といった問題もある。

 一方で、核兵器廃絶に立ちはだかる壁はなお厚い。

 事故で崩れた原発の安全神話と関連づけて、田上市長は「核兵器の抑止力で世界は安全だと信じてはいないか」と疑問を投げ掛けた。核保有国はもとより日本にも根強い核抑止論を、核兵器廃絶の最大の障害とみるからだろう。

 核兵器禁止条約の締結に向けた努力や、北東アジア非核兵器地帯の創設といった行動も国際社会と日本政府に促した。広島市の宣言には盛り込まれなかった具体的な提案として評価できる。

 菅直人首相が広島に続き、核兵器廃絶が目標だと明言しながらも「究極的」と付け加えたのは納得できない。いつ実現するとも分からない遠い将来の話にすり替えているからだ。被爆地からの訴えをかわして「核軍縮・不拡散教育の活動を世界に広げる」と強調するだけでは、隔たりは埋まらない。

 原発事故は平和利用がはらむ危険性をあらわにした。軍事利用の廃絶を訴えてきたヒロシマとナガサキは、さらに重い課題を抱えたことになる。「核なき世界」に向かうには国内外の世論の幅広い結集が求められる。

(2011年8月10日朝刊掲載)

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