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社説・コラム

『潮流』 戦争をどう語り継ぐか

 今年も「8月15日」の終戦の日が近づく。1945年から数えて67回目となるはずだが、この数え方は間違っているようだ。メディア史を専門とする京都大准教授、佐藤卓己さん(50)の著書「八月十五日の神話」から教わった。

 閣議で正式に定められたのは、日本が高度経済成長に入った1963年である。政府主催の第1回全国戦没者追悼式は、この年の8月15日に執り行われた。

 しかし日本が連合国にポツダム宣言の受諾を伝えたのは「8月14日」である。米国は日本が降伏文書に調印した「9月2日」を対日戦勝記念日とした。世界からみれば、これこそが終戦の日だ。

 それがなぜ―。広島市出身の佐藤さんは、玉音放送を聴く国民の姿をとらえた映像が戦後、メディアで繰り返し流され、終戦の記憶になったとみる。そうして戦争についての語りを定型化してきたことが、体験に裏打ちされた記憶の継承を阻んでいるとも説く。

 被爆5年後、広島で「原爆体験記」が編まれた。市が初めて募ったが、占領下の当時に刊行されたのは18編にとどまる。ほかの多数の手記は眠ったままとなった。

 「赤裸々な記憶を埋もれさせてはならない」。旧制中学2年で被爆した広島大名誉教授の葉佐井博巳さん(80)は今夏、165編を掘り起こし、電子データにした。

 手記はザラ紙で計1500枚を数えたという。「最近は『憎しみはない』と証言する人もいる。だが、殺された人、親や子を奪われた人が皆、そうだったか」。葉佐井さんは松井一実市長に原文とデータを託した。

 人間が追いやられた極限の状況を伝える一つ一つの手記。自省を込めて記せば、メディアが定型化していない広島の記憶である。一日も早い公開が待たれる。(西本雅実)

(2011年8月12日朝刊掲載)

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