×

社説・コラム

コラム 視点「核エネルギー依存からの脱却へ ヒロシマ 新たな使命」

 原爆慰霊碑前に未明から立ち込める香煙。平和記念公園には、午後9時をすぎてもなお多くの人々が列をなし、慰霊碑に手を合わせる姿が。原爆ドームそばの元安川には、原爆犠牲者の霊を慰める色とりどりの灯籠が川面を照らし、外国人らが盛んにシャッターを切っていた。

 被爆66周年を迎えた「原爆の日」の6日。被爆地広島は例年と変わらぬ表情を見せる一方で、これまで向き合ってこなかった新たな役割と使命を負った。放射性物質の大量放出により多くの被曝者(ひばくしゃ)や避難者を生み、大地や海を汚染している「フクシマ」原発事故が、「ヒロシマ」に突き付けた重い問いかけである。

 初めて平和宣言を読み上げた松井一実広島市長は、第三者的な表現を借りながらも、脱原発や再生可能エネルギーの活用に触れ、政府にエネルギー政策の見直しを求めた。

 菅直人首相もあいさつの中で、これまでの原発に対する安全神話を反省。「原発に依存しない社会」を目指すと誓った。そのための具体的な方策や時期を示さず、どこまで実現性があるのか疑問は残る。首相の座も長くは続かないだろう。が、誰が首相であれ、目指す方向は間違っていない。

 広島・長崎が体験した原爆による惨禍は、多くの日本人に「核アレルギー」を植え付けた。だが、そのアレルギーはもっぱら核兵器に向けられ、同じ危険な核物質を利用した原発には向いてこなかった。遠いチェルノブイリではなく、身近に起きたフクシマの惨事で覚醒したのだ。この日も、核兵器だけでなく、原発に反対する市民らの集会が市内のあちこちで開かれ、街頭デモも行われた。

 式典後、平和公園内で十数人の外国人に平和宣言について感想を聞いた。評価はおおむね良かった。その一人、博士号取得を目指し京都大でエネルギー科学を学ぶ南アフリカ共和国のズミタ・ラミニさん(41)。「1度は平和式典に出席したい」と京都から深夜バスで早朝に広島に到着したという彼は、自国の実情も交えて話してくれた。

 「南アフリカは6個の原爆を保有していましたが、米ソ冷戦後の1991年までには解体しました。すべてを廃棄したのは世界でわが国だけ」。原発もアフリカ大陸で唯一保有。現在、ケープタウン郊外に2基の原発が稼働しているという。政府は増やしたいと計画しているが、国民の反対が強い上にフクシマの事故が加わった。「核兵器も原発も無くしていこうというヒロシマの訴えに共感を覚えました。世界中の人々にその訴えが広がってほしい。私自身も帰国後は、再生エネルギーの分野で国に貢献することを慰霊碑に誓いました」

 ヒロシマは、9日に「原爆の日」を迎えるナガサキとともに、新たな使命を担い67年目の一歩を踏み出した。(センター長 田城 明)

(2011年8月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ