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社説・コラム

『論』 空襲被害の救済

■論説委員 岩崎誠

 66年前の広島、長崎に限らない。先の大戦では多くの都市が米軍機の爆撃によって焼き払われた。奪われた命は数十万人とされる。  こうした空襲の民間人被害は「一般戦災」と呼ばれる。被爆者や軍人・軍属と違って国の援護は手つかずだった。

 ところが今年、新たな局面を迎えている。救済を訴え続けてきた被害者団体の声に動かされ、民主、公明党など超党派による国会議員連盟が発足したのだ。

 議連は来年の通常国会に、空襲被害者の援護法案を出す構え。遺族への弔慰金や障害を負った人らへの見舞金を援護策の柱にするという。

 加えて、国の責任による実態調査を盛り込む方針だ。犠牲者数をはじめとする空襲被害の全容解明はいまだ十分とはいえない。このままでは救済もおぼつかないからだ。

食い違う犠牲者数

 この14日、岩国市内で営まれた空襲犠牲者の慰霊祭に足を運んだ。玉音放送の前日、岩国駅一帯はB29の大編隊に集中爆撃された。

 市長は慰霊の言葉で、犠牲者数は「517人」と述べた。長らく市の見解という。

 とはいえ裏付けとなる名簿や記録は残っていない。一方、遺体処理に当たった市の元幹部はかつて、「実数は千人を下らない」と本紙に証言している。仮の数字がどこかの時点で独り歩きを始めたのだろうか。

 呉市もそうだ。終戦の年の3月以降、主なものだけで6回の空襲があり、死者は約2千人と説明されてきた。だが軍港だったため被害が伏せられた面もあった。多くの犠牲者が埋もれている可能性が高い。

 6月29日の岡山空襲の犠牲者も、1737人が公式見解。ところが2千人を超えているとの見方もある。

 空襲に見舞われ、混乱を極めた各自治体。被害調査が不十分だったことが救済を遅らせてきた。

 代わりに証言を掘り起こし、米軍の記録を分析してきたのが各地の市民団体だ。それでも歳月が過ぎるほどに新たな手掛かりは乏しくなる。

議連の動き契機に

 今回の議連の動きを契機に、政府や自治体の手でいま一度、各地の被害の全体像に迫る努力を尽くすべきではないか。

 国は「戦争被害は国民等しく受忍を」との立場で救済を否定してきた。その壁を崩すのは容易ではないかもしれない。援護法が実現するとしても、国の実態調査までには相当の時間がかかりそうだ。

 まず自治体として、亡くなった人の名前を一人ずつ突き止めていく作業を始めてはどうだろう。遺族の高齢化は進む。広く情報提供を求めていくために、悠長に構える余裕はないはずだ。

 先例はある。東京都は12年前から東京大空襲の死没者名簿づくりを呼び掛け、8万人近くを記載した。

 岡山市も既に1400人以上の犠牲者名を確認した。さらに市デジタルミュージアムに戦災担当の学芸員を4人置き、空襲体験の聞き取りや資料収集をこつこつ続けている。こうした例も参考にしたい。

 空襲被害の全容解明は補償だけが目的ではない。悲惨さを次世代に伝え、戦争を繰り返さないとの誓いを再確認する。その意義は重い。

(2011年8月21日朝刊掲載)

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