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社説・コラム

コラム 視点「帰郷できぬ高濃度汚染地避難民 古里が核の『ごみ捨て場』に?」

■センター長 田城 明

 多くの日本人は、都会であれ田舎であれ、生まれ育った土地に特別な感情を抱く。瀬戸内に浮かぶ島で生まれ育った私も、島を離れて40年以上になるが、帰省するたびに変わらぬ風景と空気にいやされる。

 故郷に生活基盤がまったくない者でさえこうである。住む家も、田畑も、働く場も、先祖からの墓も、その地に暮らしのすべてがありながら、目に見えぬ放射能汚染のために故郷を離れなければならなくなった人々の思いはいかほどか。

 「帰れるものなら今日にも帰りたい」。3・11福島第1原発事故から1カ月後、埼玉県内の避難所で会った双葉町の住民たちは、口々にこう言った。町は原発のそばにあり、高レベルの放射能汚染は避け難い。だが、政府も東京電力も放射性物質による土壌汚染レベルを公表していなかった。帰郷への強い願いと、「帰れないかもしれない」との不安の中で不自由な生活を送っていた。

 事故からほぼ半年。文部科学省は先月29日、ようやく福島原発から半径100キロ圏内の放射性セシウムによる土壌汚染地図を公表した。飯舘村を含む北西方向の半径40キロ圏内に高い地域が集中。原発のある大熊町では、1平方メートル当たり約3千万ベクレルに達したところも。チェルノブイリ原発事故では、148万ベクレル以上の地域は「強制移住」の対象となった。大熊町や双葉町の住民たちの帰郷への切実な願いは、無情にも奪われた。

 「20年、30年後には帰ることができるだろう」。その言葉は、住民たちにとって「帰る望みを捨てなさい」と告げられるに等しい。

 原発周辺の汚染地域一帯の土地を国が買い取りたい。福島県内に放射能汚染土壌の中間貯蔵施設をつくりたい。こんな計画が進められようとしている。1~3号機で炉心燃料が圧力容器の底に溶け落ち、一部が格納容器にまで達しているメルトスルー(溶融貫徹)にまで至った核燃料棒の塊を取り出すことは、果たして可能なのか。かつて多くの人々が暮らしていた原発周辺は、やがて核のごみ捨て場になるのではないか。そんな疑念さえ浮かんでくる。かけがえのない古里が、核の「墓場」になるのを望むものは誰もいない。

 「原発を新たに造ることは現実的に困難だ。寿命が来れば更新せず、廃炉にする。将来的な脱原子力依存というのが基本的な流れで、自然エネルギーの普及などエネルギー計画をつくる」

 誕生したばかりの野田佳彦首相は、2日の就任会見でこう述べた。菅直人前首相の脱原発方針を引き継いだ形だが、実現するための具体的な政策ビジョンは何も示さなかった。この点ではなお、「個人的意見の表明にすぎない」と批判された菅氏の立場とさほど変わらない。

 脱原発は、単なるエネルギー政策の転換を指しているのではない。これまでの経済優先、大量消費を前提にした価値観や生活様式から、人々の命や人権を大切にし、地域の特性や自然との調和をより重視した社会を目指すことを意味している。

 被曝(ひばく)の可能性の高い福島の住民、とりわけ子どもらの健康をどう守るか。除染作業をどう進めるか。米、野菜、肉類、水、ミルク、果物、魚など飲食物の安全をどう確保するか。原発事故をどう収束させるか。さらには大地震・津波による被災地全体の復興をどう進めるか…。

 難題山積の中で船出した野田新政権には、永田町の声や論理ではなく、被災地住民の声に耳を傾け、心の通った政策を打ち出してもらいたい。難局を乗り切るには、何よりもまず、政治への国民の信頼を取り戻すほかない。

(2011年9月5日朝刊掲載)

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