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社説・コラム

天風録 「アフガンとヒロシマ」

 「どんな山奥でもヒロシマは知られている」。医師の中村哲さん(64)から教えられた。戦火の絶えないアフガニスタンの東部で長く民生支援を続ける。かつて被爆地の名を口にする人々のまなざしは尊敬に満ちていたという。廃虚からよみがえった日本の象徴として▲不戦の誓いへの信頼も重なったのだろう。日の丸は安全の旗印だった。一変したのは9・11から。干ばつで砂漠と化した大地に用水路を掘る中村さんたちのプロジェクトも危険にさらされる。米国のテロ報復戦争に手を貸す「敵国人」故に▲治安は悪化の一途。スタッフの命も奪われた。見上げれば米軍掃討ヘリが飛び交う。逃げたい時もあったろう。だが自らも重機を動かし、昨年25キロの水路ができた。荒野は緑へ変わり、ことしは小麦の大豊作。何十万人もの命の糧が得られたそうだ▲ヒロシマとの絆を結び直そうとする若者も。母国で空爆の恐怖を味わったシャムスル・ハディさん(27)だ。平和学を志し、はるばる広島大大学院に留学中。報復ではなく復興に力を注いだ被爆地の思いに触れ「希望をもらった」と力強い▲とはいえ飢えと貧しさが続く限り、泥沼化した戦争も終わらないだろう。「武器では決して解決しない」。中村さんの言葉は重い。きょう、あの日から10年。

(2011年9月11日朝刊掲載)

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