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社説・コラム

『私の師』 ひろしまジン大学学長 平尾順平さん

行動と連帯 平和を体現

 師として思い浮かぶのは、広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさん(63)だ。携帯電話の待ち受け画面には、リーパーさんから教わったマハトマ・ガンジーの言葉がある。「社会に変化を望むなら、まずは自分で動きなさい」―。これをモットーに、地域をキャンパスに見立てた学びの場「ひろしまジン大学」を始めて2年目になる。

 リーパーさんとの出会いは、2007年にさかのぼる。僕は大学卒業後、日本国際協力センター(JICE)や国際協力機構(JICA)で働いていた。職業訓練や公務員の人材育成のため、ウズベキスタンやエクアドル、ウガンダなど世界中を飛び回った。

 しかし、便利さを追求した開発が、現地のコミュニティーを壊すことにつながるのではないかと感じた。上司には「青くさい」と言われたが、退職を決意した。世界各地では、広島に原爆が落とされたという事実だけが知られていて、「あの日」で時が止まったようだった。僕自身、被爆2世だ。地元に戻って今の広島を知り、世界に伝えたいと思った。

 広島に07年に帰って目にした新聞に、理事長に就任したばかりのリーパーさんが載っていた。原爆投下国の米国出身だと知って驚いた。しかし、「世界中に市民のうねりをつくりたい」という思いに共感を覚えた。

 僕が海外で感じたのはヒロシマへの期待、そして市民の力の大切さ。すぐにリーパーさんを訪ねた。アポイントなしでも迎え入れてくれ、2時間話した。温暖化防止や核兵器廃絶を訴えるイベントの指揮を頼まれた。当時、英国に留学し、NPOと行政との関わりを学ぼうとしていたが、リーパーさんとの出会いがきっかけで広島に残ろうと心に決めた。

 昨年5月、ひろしまジン大学を開いた。広島の魅力を知り、広島人としての誇りを持ってもらいたいという思いからだ。商店街や酒蔵、公民館など街がまるごとキャンパス。誰でも学生になれて、約千人が登録している。無料の授業で取り上げる内容は、地域の交流の場である銭湯、とんど祭りなどさまざまだが、どこかで原爆の話と関わっている。イデオロギーではなく、日常の中で、かつてそれを壊した原爆を感じることができる。

 僕は、「反核」は平和の一部にすぎないと思っている。広島を、いじめや自殺がなく、コミュニティーを大事にする街にしたい。そして、復興の歴史を学びに来る世界の人に見てもらいたい。

 その思いは、父親と同い年であるリーパーさんも共感してくれている。頑固だが、人を包み込む優しさがあるリーパーさんは、まさに平和を体現している。僕の目指すべき姿だと感じている。(聞き手は増田咲子)

ひらお・じゅんぺい
 1976年、広島市安佐北区生まれ。亀山小、亀山中、広陵高、広島市立大国際学部を卒業。2000年に日本国際協力センター(JICE)に就職し、国際協力機構(JICA)に出向。07年3月に退職し、5月に帰郷。同年9月、社会活動に関心を持つ若者でつくる「fromgrassroots広島(広島の草の根から)」を結成。08年4月から10年3月まで広島平和文化センター勤務。同年5月から現職。中区在住。35歳。

(2011年10月3日朝刊掲載)

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