×

社説・コラム

コラム 視点「大臣の『死の町』発言 政治家もメディアも問題の本質を見失うな」

■センター長 田城 明

 「ゴーストタウン」。私もその言葉をある記事で使ったことがある。訳せば「死の町」となろうか。広辞苑には「住民が離散して、ほとんど無人状態となった町」とある。

   今も原子炉を覆った「石棺」の隙間から放射線を出し続けるチェルノブイリ原発4号機。10年前、そこから約4キロ離れたかつての原発職員の町、プリピャチを訪ねた。

   「約5万人が住んでいた新しい町は、一夜にして人のいないゴーストタウンに化してしまった。雑草が生い茂り、にぎわった劇場もホテルもマーケットも、荒廃が支配していた」。原発建設に伴ってつくられた職員と家族のための近代都市の変わり果てた姿が、今も目に浮かぶ。後に『現地ルポ 核超大国を歩く』と題して出版された本のその箇所には「『死の町』となった原発職員の町」の小見出しが付く。

   日本から遠く離れたウクライナ(旧ソ連)で起きた核惨事のためか、すでに事故から15年も経過していたからか、表現を問題にされることはなかった。

 炉心溶融事故を起こした福島第1原発の周辺市町村視察後、「死の町」や「放射能をうつしてやる」発言で、経済産業相を辞任せざるを得なかった鉢呂吉雄氏。「放射能がうつる」と心ない差別を受けてきた広島・長崎の被爆者の体験から学び、こうした偏見が福島県民にまで続いている実情を知れば、冗談にもこんな無知な発言はしなかっただろう。避難生活を余儀なくされ、帰郷の念を強く抱く多くの人たちを思えば、「死の町」という表現も大臣として確かに浅慮だった。

 だが、大臣の首を取ることに熱心だった議員も、われわれメディアも、「人っ子一人いない」(鉢呂氏)町に住民たちが帰れるのかどうか、いまだに答えを引き出せていない。8月末、文部科学省は福島原発から半径100キロ圏内の放射性セシウムによる土壌汚染地図を公表した。大熊町や双葉町など原発隣接町のあまりにも高い汚染レベルを知ったとき、私は悲観的にならざるを得なかった。

 何年か待てば除染され、安心して帰れるのか。それとも帰れないのか。結論が分かりながら、政府がいつまでも公表を引き延ばすのは、避難者にとってプラスにならないだろう。生活支援策と併せて明確にすべきである。

 一方で政府は、9月30日に原発から半径20~30キロに位置する南相馬市や川内村など5市町村を対象に「緊急時避難準備区域」の指定を一斉に解除した。ところが、同じ日、文部科学省は原発から北西へ45キロも離れた飯舘村などでプルトニウムやストロンチウムが土壌から検出されたことを公表した。緊急時避難準備区域の山林などの汚染実態もつかめず、居住地の除染すら十分できていないのが実情である。

 こうした中でなぜ指定解除を急ぐのか。予定通り原発事故が収束していることを国民や国際社会にアピールするための措置なのか。一刻も早く「ゴーストタウン」状態から脱皮させたいとの思いは分かるが、放射線被曝(ひばく)に対する住民の不安を取り除くための除染作業の徹底など、政府には優先して行うべき施策があるはずだ。

(2011年10月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ