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社説・コラム

コラム 視点「原発容認を反省 被爆証言に新たな要素加わる」

■センター長 田城 朗

 「フクシマの状況に無関心でいられない」「核兵器にだけ関心を向けてきて、原発のことはあまり考えてこなかった」「何となく原発を認めてきたことを反省している」…。

 証言活動に取り組む知己の被爆者10人に話を聞いてみた。中には「今回の事故が起きるまで、原子炉になぜ水を入れるのか、被爆者でありながらそんなことすら分かっていなかった」と打ち明ける人もいた。

 そう言った人も、今では原発の仕組みや原子炉の型の違い、使用済み核燃料の処理問題など「事故について学ぶことで少しは賢くなった。原発の危険性を知ることにもなった」と話す。

 彼らが一様に強調するのは、「人間はミスを犯す」「天災は必ず起きる」「制御を失った核エネルギーは暴走してしまう」という点だ。放射性物質が大量に環境にまき散らされたら取り返しがつかない。「そのことの怖さを一番知っているのは私らです」。被爆後、がんなどさまざまな病気を発症し、放射線後障害の不安を抱えて生きてきた人たちだけに放射線の人体影響には敏感である。

 被爆証言の際はそれぞれ、自身や家族の身の上に起きた病気のことなどについて説明する機会が多い。ただ、その説明はあくまでも66年前の原爆投下に起因するものであって、今も身近に起こり得るとの考えは薄かったという。

 「広島型の何十倍もの威力がある核兵器が次に使用されれば、爆風、熱線による膨大な被害はもとより、放射線による影響も計り知れず大きくなるだろう」。このように被爆者が証言の中で核兵器使用の危険性を指摘しても、絶対安全であるはずの日本での原発事故は「想定外」のことであり、その危険に触れる被爆者はほとんどいなかった。

 被爆証言の主な役割の一つは、自らの体験に基づいて被害の実相を伝えることに変わりはない。しかし、「被爆体験を語るだけだと、過去の出来事に終わってしまう。それだけであってはいけない」と感じている被爆者は多い。とりわけ、「3・11」以後は、原発の是非やフクシマについても質問が出されることが多くなった。  「被爆者も常に勉強して、しっかりとした知識を身につけねば…」。そんな強い思いが、尋ねた被爆者一人ひとりから伝わってきた。

(2011年10月17日朝刊掲載)

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