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社説・コラム

コラム 視点「国際平和拠点ひろしま構想 具体化に向け市民の積極的な参加と知恵を」

■センター長 田城 明

 病と闘いながら、被爆の「語り部」として80年の生涯を生き抜いた高橋昭博さん。願い続けた核兵器廃絶こそ実現はかなわなかったものの、とわの眠りについたその表情は、被爆者として精いっぱいの役割を果たし終えた安堵(あんど)と安らぎに包まれているように思えた。

   ローマ法王ヨハネ・パウロ2世ら外国の要人をはじめ、政治家、ジャーナリストら海外からの多くの訪問者に被爆の実相を語った。「次世代のために」と、数え切れないほどの子どもたちに原爆や戦争の悲惨と命の貴さを伝え続けた。原爆を投下した米国への憎しみを胸の奥に封印し、「ヒロシマの精神」ともいえる和解の心を説いた。

   4日に営まれた高橋さんの葬儀。長年交友のあった秋葉忠利・前広島市長と俳優の米倉斉加年(まさかね)さんが弔辞を述べ、故人が残した大きな功績をたたえた。「ヒロシマの新しい出発」。米倉さんは高橋さんの死をこう言い表した。

   同じ日、広島県の湯崎英彦知事は「国際平和拠点ひろしま構想」なるビジョンを打ち出した。内外の有識者がまとめた構想には、被爆地広島が果たし得る役割や行動指針が示されてはいる。軍縮や平和構築、紛争予防のための専門家育成など実現できればと共感すべき点も少なくない。

   だが、核軍縮・廃絶への取り組みでは、広島・長崎両市が平和市長会議で提唱、推進してきた「2020ビジョン」より後退している感は否めない。潘基文(バン・キムン)国連事務総長も賛同し、120カ国を超す非核兵器国や世界の多くのNGOが支持、推進する核兵器禁止条約(NWC)の早期交渉の実現にすら触れていない。

   被爆地としてのリーダーシップがこれで発揮できるのか。一日も早い核兵器の廃絶を願って証言活動を続けてきた高橋さんら被爆者の悲願よりもむしろ、核抑止力に依存する世界の現実に合わせた提言だとみなされても仕方あるまい。

   「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」―原爆慰霊碑に刻まれた碑文には、核兵器廃絶、戦争否定だけでなく、「ノーモア・ヒバクシャ」の誓いも込められている。にもかかわらず、福島第1原発事故で大量の放射性物質が環境に放出され、多くの新たなヒバクシャが生み出された。「フクシマ」が直面する問題は、原発による核エネルギー利用の危険に十分声をあげてこなかった被爆地の在り方をも鋭く問い掛けている。

   現実味を帯びる核テロの可能性を封じることが今日的課題であるように、原発依存を脱して再生可能エネルギーの創出などエネルギー移行を図ることも喫緊の課題だろう。核物質の拡散は、核兵器の拡散につながり、新たなヒバクシャを生む危険を常にはらんでいるのだ。放射線被曝(ひばく)の危険を知る被爆地広島こそ、率先して再生可能エネルギーの「創造拠点」となるべきではないか。避けてはいけないその課題に言及していないのが残念でならない。

   多くの被爆者が今、原発に反対してこなかった反省の思いを込め、危険性を訴え始めた。カナダ・トロント在住のサーロー・節子さんもその一人。10月26日にあったニューヨークでの国連総会第1委員会(軍縮問題)で、政府の「非核特使」としてスピーチしたサーローさん。彼女は筆舌に尽くし難い自身の被爆体験を語るとともに、核拡散防止条約(NPT)で保障されている非核兵器国の「奪うことのできない権利」である核エネルギーの平和利用に代えて、「再生可能エネルギーへの技術的援助の提供を保障すべきときではないか」と訴えた。

   被爆地の平和行政は、こうした被爆者や市民の思いを反映し、支えられてこそ力を発揮する。湯崎知事と広島市の松井一実市長がそれぞれ米国や欧州に出かけ、互いに協力して平和外交を展開することも大切である。

   しかし、具体的に構想を肉付けするためには、まず、知事や広島市長を交え、被爆者や平和・軍縮問題に取り組む研究者や市民、宗教者、経済人ら幅広い層の人たちが集い、知恵を出し合うところから始めてはどうか。被爆地の県民が積極的に関わってこそ、「ヒロシマの新しい出発」にふさわしい国際平和拠点も生み出されよう。

   多額の費用と根回しに時間がかかる多国間の軍縮交渉の広島開催を待つまでもない。足元の教育現場での平和教育の充実を含め、取り組むべき身近な課題は多い。

(2011年11月7日朝刊掲載)

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