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社説・コラム

天風録 「浄と汚」

 「浄」という文字は、使い終えた鋤(すき)を水で洗って立て掛けたさまを表す。そんな説を福島県在住の作家玄侑宗久さんのエッセーで知った。その年の収穫に感謝して春を待つ。「冬ほど浄(きよ)らかな季節はない」と▲冬の入りというのに、コメが放射性セシウムで汚されていたと知る。農家の落胆はいかほどか。新米が出荷できなくなった大波地区は福島市の東端の里。山すそに田んぼが連なり、腐葉土の養分が溶けた沢水がおいしいコメを育んできた▲ところが原発事故で飛び散った放射性物質が山に降る。木々に土壌に染みこみ、くぼ地にある田んぼに蓄積したようだ。そういえば「汚」の語源は「くぼんだ水たまり」である▲住宅2年、農地5年、最後に20年がかりで山林。そんな除染の順番が福島で議論を呼んでいる。掃除は上から下へするのが常識だろう。ただ、気が遠くなりそうな山の掃除をどう進めるのか▲住民に詰め寄られる自治体は「もっと国が前に」と後ろを振り向く。その中心になる環境省。福島から送られた汚染土を、あろうことか、職員が空き地に捨てていた。監督不行き届きによる処分は政務三役にまで。そんなことやってる場合か。

(2011年11月19日朝刊掲載)

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