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社説・コラム

天風録 「吉田所長」

 福島第1原発事故が起きた当時、驚いたことに各国の大使館までが東京や日本から逃げ出した。広島市にも3月の一時期、フィンランド大使館が引っ越していた。今となっては、正しい怖がり方だったと言うべきか▲この程度で済んだのは奇跡的な幸運で、首都圏が放射能で覆われる危機が何度かあった―。先ごろ広島でのシンポジウムで政府事故調査・検証委員の発言に背筋が凍った。原子炉爆発で6基全てが炎上する事態も想定されたという▲こちらは陣頭指揮を執り続けた人しか口にできまい。「もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」。短い言葉で事故直後の1週間を振り返った吉田昌郎所長が、病気療養のため現場を離れる▲混乱の中、東京電力本店の矢の催促に度々声を荒らげた。指示に逆らって原発への海水注入を続け、後に「正しい判断」と評価された。「逆命利君」を地でいく独断は、現場を預かる責任感ゆえだろう▲「直ちに健康に影響はない」という政府発表の裏で差し迫っていた危機。自国民には知らされず、メディアに身を置く者としてじくじたる思いだ。吉田さんには、死を覚悟した体験の中身を洗いざらい語ってほしい。

(2011年11月30日朝刊掲載)

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